山の理科ノート(松浦寿治文集)

登山教室Timtam ←下段記載のTELorEMAILで松浦に連絡出来ます。

物理
 
独立峰の風1995.2
 山の相対性理論1988.11
 道具の不思議なカーブ1994.12
 制動確保考1988.9
 光の絵筆 1993.12
 レンズの話し 1996.5
 エバードライ 1984.4
 スベル 1984.2
生物・人間
 んではいけないもの1984.10
 植物も富士山に登る1984.6
 山菜栽培1992.6
 登山靴の重さ1992.4
 アクシデント1985.12
 救急法ABC1996.1
 静的ストレッチ 2011.10
ガイド協会のサイト・コンパス
 ガイド松浦の投稿
中学教育
 教育放送利用研究1991.11.18
 行動食の工夫は・・・2011.5.11
  ブログ   YouTube
化学
 焚き火の科学的考察1985.1
山の技術
 懸垂下降1995.4
 ザイル1991.6
 深雪格闘術1989.12
 ザックとパッキング1985.10
 山の小物入れ1985.8
 今は昔の家型テント1993.11
 山道の歩き方2014.7
 
登りノート 登りノート

山ノート   対ノート

の道具 の食料 ープの結び方
ハイキング
 東京 江戸川下り1985.3
沢登り
 奥秩父・井戸沢1989.8
 浦和浪漫山岳会の夏合宿1987.9
雪山
 土合から白毛門山1989.1.10
 蓮華尾根から白馬岳1989.1.10
 峰神社から雲取山1989.1.10
 士宮口から富士山1989.1.10
 沢峠から甲斐駒ヶ岳2000.10
 台から仙丈岳2000.10
 ノ倉沢1・2ノ沢中間稜1991.3
 川岳・一ノ倉尾根1992.6
地学
 
スターウォッチング1994.3
 日の出・日の入り1994.1
 低気圧と雲の話し1999.3
 寒い理由1989.1
 気象遭難1993.21
 シベリア気団1992.2
 山に登る理由1992.10
 石灰岩の岩場1991.4
 岩は脆くなる 1984.8
 A.ウェゲナー1991.1
 ヒマラヤの化石1989.3

の理科ノート 松浦寿治文集)

登山教室Timtamのトップへ行く
└ 下段記載のTel,Emailで松浦に連絡出来ます

物理 化学
独立峰の風   山の相対性理論   山道具の不思議なカーブ   制動確保考   光の絵筆   レンズの話し   エバードライ   スベル   焚き火の科学的考察
地学 生物 人間
スターウォッチング   日の出・日の入り   低気圧と雲の話し   寒い理由   気象遭難   シベリア気団   山に登る理由   石灰岩の岩場   岩は脆くなる   A.ウェゲナー   ヒマラヤの化石   踏んではいけないもの   植物も富士山に登る   山菜栽培   登山靴の重さ   アクシデント   救急法ABC   静的ストレッチ
山の技術
懸垂下降   ザイル   深雪格闘術   ザックとパッキング   山の小物入れ   今は昔の家型テント   山道の歩き方(含ストック)
コースガイド
東京 江戸川下り   奥秩父・井戸沢   浦和浪漫山岳会の夏合宿   土合から白毛門山   小蓮華尾根から白馬岳   三峰神社から雲取山   富士宮口から富士山   北沢峠から甲斐駒ヶ岳   戸台から仙丈岳   一ノ倉沢/1・2ノ沢中間稜   谷川岳・一ノ倉尾根
  ブログ     YouTube


  「山の理科ノート」には松浦寿治が雑誌「岳人」(東京新聞出版局)の”山の雑学ノート”や”ミニガイド”などに1984年より掲載した原稿と、 「雪山登山」及び「雪山入門とガイド」(いずれも山と渓谷社)に執筆した原稿などが集められています。

松浦寿治(まつうらとしはる)・・・東京理科大卒。同ワンダーフォーゲル部(=TRWV) で登山の初歩を学ぶ。公立中学校教員 (理科担当,学年主任6年,初任者研修拠点校指導教員5年.etc) として勤務するかたわらTRWVのOB会に所属し、月に一度程度のペースで休日登山を続けた。1983年に無名山塾の第一期生となり、 1996年より2002年まで無名山塾本科生塾頭となって本科の運営に協力した。1996年4月にCue事務所、2003年1月に登山教室Timtam、 2008年11月に登山教室Cueの設立に尽力した。2010年より専業の 山岳ガイド&登山技術インストラクターとして独立、社会人登山(サラリーマン登山)の普及に努めている。
Cue事務所(登山教室Timtam,登山教室Cue) 代表、N.I.A.J.会員、 日本山岳ガイド協会認定山岳ガイド、 Timtam山の集い(机上講座)メインキャスター ←「山の集いでお会いできれば幸甚です。」

メール c-up@nifty.com
電 話 03-3600-3570


松浦寿治の登山歴
1968.4~1972.3 東京理科大学ワンダーフォーゲル部員として活動した。
・無雪期=日高山脈縦走、南ア深南部縦走、後立山連峰縦走、など
・厳冬期=八甲田山20日定着、秋田駒周辺山スキー、裏岩手連峰周辺山スキー、南八ヶ岳の山、など
・残雪期=白馬岳周辺山スキー、南アルプス南部縦走 など

1973.4~1983.8 同上OB会に所属して活動した。
・無雪期=中ア縦走、北ア縦走、朝日連峰縦走、など
・厳冬期=裏岩手連峰縦走、栗駒山周辺山スキー、など
・残雪期=尾瀬周辺山スキー、谷川岳とその周辺、など
・海外=シャモニー&ツェルマット周辺スキー行

1983.9~登山技術インストラクターとして活動して来た。
・無雪期=
縦走登山…北ア、南ア、飯豊連峰、など
沢登り東京近郊…丹沢、奥多摩、奥秩父、など
沢登り関東周辺…利根川本谷、水長沢、ナルミズ沢、湯桧曽川本谷、恋ノ岐川、鬼怒沼山北ノ岐川、中門沢、産女川、葛根田川、大深沢、虎毛沢、岩井又沢、川場谷、阿武隈南沢、杉田川、など
山歩き…丹沢、奥多摩、奥秩父、奥武蔵、西上州、北関東、中央沿線、箱根、伊豆、静岡、など
岩登りアルパインクライミング…谷川岳周辺(南稜,中央稜,凹状,二ルンゼ,四ルンゼ,V字右)、北岳バットレス(Ⅳ尾根,十字クラック)、剣岳(源次郎尾根6回,八峰下半&上半,八峰Ⅵ峰フェース群,本峰南壁,チンネ左稜線&aルンゼ)、前穂(北尾根,北尾根Ⅳ峰正面壁)、北穂(東稜,滝谷ドーム北壁,滝谷第二尾根)、八ヶ岳(小同心クラック,阿弥陀岳南稜,赤岳天狗尾根)、など
岩登り基本教室…日和田山の岩場&つづら岩&岳嶺岩などで100回程度
フリークライミング教室…城ヶ崎富戸エリア,奥多摩川又の岩場,流山ガンバクライミングジム、などで20回程度

・厳冬期=
雪山登山…仙丈岳と甲斐駒岳13回、北岳、塩見岳、南八ヶ岳、北八ヶ岳、富士山雪上技術講習23回、など
アイスクライミング…笛吹川周辺、松木沢周辺、霧積温泉周辺、など
山スキー…松川温泉周辺、孫六温泉周辺、上越、上信国境、会津駒ヶ岳、など
山岳スノーシュー…上信国境、日光、土樽周辺、など

冬季登攀…谷川岳(一の倉尾根,東尾根,四ルンゼ)、八ヶ岳(中山尾根,小同心クラック,石尊稜,阿弥陀北稜)、など

・残雪期=
谷川岳-万太郎山、木曽駒-空木岳、燕-常念岳、槍ヶ岳、富士山、白馬岳小蓮華尾根、杓子岳杓子尾根、鹿島槍ヶ岳釜尾根、尾瀬周辺、富士山富士宮口コース山頂よりスキー滑降、鳥海山山スキー、など


 静的ストレッチと準備運動 松浦寿治 2011年10月17日

腕立て、腹筋、背筋、そして懸垂・・・筋トレは苦しくてつらいです。
なので私は「山に数多く行くこと」と「街は遠くを見て大股で歩く(山は小股で歩く)こと」で、筋トレに変えちゃおうと考えています。そして、筋トレでなくて、ストレッチをボチボチ続けています。ストレッチは苦しくないように行うから、筋トレ嫌いの私に向いています。もちろん、ストレッチを省略しちゃう日も多々あります。

ストレッチ・・・柔軟なことは山登りには有効です。
例えば1、高いスタンスに右足を乗せてそこに乗り込んで行く場合。体が柔らかくて足が高くまで上がれば、静荷重静移動の登り方あるいは歩き方(レストステップ)が安定します。足が上がらなければ手で引いたり、下になる左足を後ろ方向に蹴ったりします。結果として、右足を真下に踏みつけることが出来ないので、滑ったり落石を落としたりの歩き方になります。
例えば2、岩登りで、ちょととだけ前傾した壁に、正対して、膝を曲げた状態で、外形したホールドを持つ場合。体が柔らかければ、股関節の開きや背骨のしなりをを利用して体の重心を壁に近く持って行けるので、壁からはがされるモーメント(壁と重心との距離×重力)が小さくなります。壁と重心の距離が12cmから10cmに縮まればモーメントが20パーセントもダウンするのです。

瞑想するような感じで、1種目20秒くらい、ゆっくり痛くない程度に筋肉を伸ばすのが静的なストレッチです。
風呂上がりとか、運動が終わった時のような体が温まっている時に行いましょう。リラックスして行いましょう。筋肉を伸ばして疲労物質が除かれているのをイメージしましょう。座って行える種目は座りましょう。寝て行える種目は寝ましょう。目をつぶるのも良いです。副交感神経が働いていて筋肉も伸びていますので、静的ストレッチ後には筋肉は充分に力が出せないと知っていましょう。

足の屈伸1234、5678、2234、5678のようにハツラツとして体を動かして行うのが動的なストレッチです。
ラジオ体操は動的なストレッチだと言われているようです。体が温まってきて、交感神経が働き、モチベーションが上がって来ます。筋肉が温まることでその弾力が増します。神経の信号伝達が各筋繊維にバラバラに行われているのを同じタイミングに揃えるようになって全体として筋力が増加します。動的ストレッチをする姿は、2011年現在、まだ日本で見かけるチャンスは少ないです。20年ほど前からほとんどのサッカーチームが練習や試合の前にダンスのような動的ストレッチを取り入れています(世界の強豪サッカーチームの真似から始まっているらしい)。なので、近所の中学校サッカー部で良いので練習開始頃を狙って見学に行ってみましょう。

運動の開始の前に相当に時間をかけて静的ストレッチを行う人がいます。実は私もそうして来ましたが、ちょっと違ったかも知れません。
準備運動に動的ストレッチを行い、整理運動に静的ストレッチを取り入れるのが良いようです。

  ROUTE GUIDE
土合から白毛門山

谷川岳の岩肌が眼前に開ける展望の山

●プロフィ-ル
 JR上越線の土合駅からすぐに登りはじめられるというたいへんにアプローチの短い山である。そして、白毛門(しらがもん)は登りのきつい山でもある。急な登りを一汗、二汗とかいてしのいでいくと、谷川岳東面の岩場が眼前に開けて登るものを圧倒する。いつか俺もあの氷壁へ・・・と思わずともなにか感じるものがあるはずだ。
 雪量も豊富だから、これを利用して、ドカ雪のあとはラッセル訓練、四月中旬には新人歓迎の舞台によい。また朝日岳を経て巻機山への縦走路の起点としても親しまれている。
●コースガイド
 夜の上野のプラットホーム・・・」と歌われた上越線の夜行普通列車は、いまでは休日の前日しか運転されない臨時列車となってしまった。それでもこの電車に乗り、土合のモグラ駅のホームに降り立ち四六ニ段とやらの階段を登り、駅舎内で夜明けを待つといった古くなつかしい谷川岳の登山スタイルをアプローチとっして使いたいものだ。
 この列車を使わない場合は、水上駅から谷川岳ロープウェイ行のバスに乗り土合橋下車、ここが登山口となる。
 土合駅からならロープウェイ方面にバス道を歩いていくと一〇分ほどで土合橋だ。橋の手前にあるレストランわきの小道に入り、湯檜曽川をせき止めてできた小さな湖を左に見ながら進む。すぐに右手から東黒沢が入ってきて、この沢にかかる橋を渡る。
 三菱銀行のヒュッテを右に見て、ここから登りがはじまる。降雪のあとは先行パーティがなければ、激しいラッセルの急登である。四月中旬をすぎてもこのあたりまで雪が残っていることも多い。なにしろここは日本でも有数の豪雪地帯である。雪の量には十分に注意しなければならない。
 広い樹林帯の展望のきかないなかをひたすら登りつづける。ときどき左側の木の間越しに、谷川東面の岩場や、天神平に向かうロープウェイが望まれる。
 高度をグングンかせいで、いきなり展望が開けて松ノ木の頭に着く。ここからはアイゼン、ピッケルがなければ先には進めない。初心者のみのパーティはここまで、ということにしておこう。
 頂上へは目と鼻の先であるが斜面がきついので、しっかりとアイゼンの爪を効かせていこう。風の強いときにはスリップに要注意。ヤッケのありがたさがしみじみわかるときでもある。
 頂上直下の広い斜面は、降雪中やその直後には雪崩の危険がある。斜面を横切らずに直登しよう。
 よい天気に恵まれれば山頂での展望は最高で、遠く富士山まで見渡せる。冬型の気圧配置がゆるむタイミングを見て入山するのがよいだろう。帰路は往路を引き返す。ときどき頭を出す木の根に注意して登りのトレースっくぉたどる。二時間強で下山できる。
<交通>JR土合駅下車
<参考タイム>土合駅(10分)土合橋(10分)尾根取付(3時間30分)松ノ木沢ノ頭(1時間)白毛門山(2時間20分)土合駅
適期=十ニ月下旬~四月上旬 日程=前夜発日帰り グレード=技術度★、体力度=★ 二万五千分ノ一地形図=茂倉岳、水上

<アドバイス>移動性高気圧にすっぽりおおわれるときがねらい目。ラッセルがきついと日帰りするのは無理になる。
 トレースがあれば白毛門山頂までは比較的楽に登れるはずだ。早い時間に山頂に着いたら秀麗な山容の笠ガ岳までは往復してこよう。なんとなくトクした気になる。

(松浦寿治)  雪山入門とガイド(山と渓谷社) 1989.1.10初版第一刷

 
ROUTE GUIDE
小蓮華尾根から白馬岳

残雪期の登山者だけがたどれる尾根路へ

●プロフィ-ル
 激冬期には激しい風雪の日がつづき、ごく限られた者しか入山が許されなかった白馬岳も、その名称の由来となったシロウマが山肌にあらわれる残雪期ともなれば、岩と雪のクライミングの対象として、また山スキーのパラダイスへとかわってくる。
 白馬岳への一般的なルートは栂池からのものと大雪渓からのものが上げられるがそれらは山スキーヤーにゆずろう。ここでは、猿倉から小蓮華尾根の雪稜を登り、小蓮華岳を経て白馬岳山頂に立ち大雪渓を下るコースを紹介したい。
●コースガイド
 JR大糸線の白馬駅で降りる。駅前で登山届の提出を求められるのであらかじめ用意しておくとよい。五月の連休時でも猿倉の手前までしかバスもタクシーも入らないが。車止めから猿倉荘まで除雪されていることが多く一時間ほどの歩きで猿倉荘に着く。これを右に見送り尾根を登ること小一時間で猿倉台地に出る。
 この台地から白馬三山東面の展望は絶好、ここにベースキャンプを作り半日ぐらいはのんびりしていたい。杓子尾根、双子尾根からの雪崩の出そうなときはブナ林より上に幕営すべきではない。
 猿倉台地から杓子尾根の末端をトラバースぎみに下り。白馬尻に出る。猿倉台地に幕営しないときは、猿倉荘から広い夏道を使って直接ここまできたほうが早い。
 白馬尻は、大雪渓や白馬主稜をめざすパーティのテント村になっている。 色とりどりのテントを左手に見送り、大雪渓の末端を横断して白馬沢に入る。この大雪渓と白馬沢のとの合流点が、小蓮華尾根の取付点だ。ここから北に上がっていく長大な尾根が小蓮華尾根である。斜度の緩いところを選んで、白馬沢側に派生する小尾根に取りつき、右にトラバースぎみに登って主尾根をたどる。右に左に電光形に登って急斜面をしのぎ、早く尾根に出てしまおう。
 ここからは雪稜というよりは、尾根路といった感じであるが、一般ルートではないので、他人のトレースをたより登ってしまおうなどと考えずに慎重に行動しよう。無雪期にはシュクナゲやハイマツのヤブでとても登る気になれない尾根が、雪がのってしまえば、白馬岳展望の楽しい初心者向きのルートになっている。雪のつきかたの少ないところ数箇所をヤブこぎしつつ高度をかせいでいく。
 尾根の最上部は斜度がきつい。新雪がのっていれば雪崩が出る。クラストしていればスリップする。稜線に出てしまえば風がたいへん強くなる。状態によっては尾根の頭手前で引き返す勇気も必要だ。
 小蓮華尾根の頭から白馬岳へは条件さえよければ約一時間半である。頂上を越え、白馬山荘の間をぬけ頂上宿舎を右手に見るところから大雪渓に入る。左右から来る雪崩に注意して、ときに尻セードを混じえつつ素早く下って、白馬尻にもどる。
<交通>JR大糸線白馬駅(松本電鉄バスまたはタクシー50分)猿倉
<参考タイム>第一日=猿倉(40分)猿倉台地(1時間40分)小蓮尾根取付(3時間)小蓮華尾根ビバーク地点 第ニ日=小蓮華尾根ビバーク地点(1時間30分)小蓮華尾根の頭(1時間30分)白馬岳(2時間)白馬尻
(1時間)猿倉
適期=四月中旬~五月上旬 日程=前夜発一泊ニ日 グレード=技術度★★、体力度=★★ 二万五千分ノ一地形図=白馬岳、白馬町

<アドバイス>大雪渓の積雪の安定する四月下旬以降に計画して安全を
期したい。
(松浦寿治)  雪山入門とガイド(山と渓谷社) 1989.1.10初版第一刷

 
ROUTE GUIDE
三峰神社から雲取山
雪山ビギナーに人気の東京都の最高峰へ

●プロフィ-ル
 東京都の最高峰として人気が高く、四季を通じて登山者の多い雲取山。十二月から一月にかけては雪が少なく、晴天の日が続くことが多い。正月休みの山頂は御来光を見る人で銀座通り並ににぎわっている。二月、三月と積雪量が多くなり、スキーを担ぎ上げる人まで出てくるが、一般的なコースをたどるかぎり、降雪の直後をのぞけばまずラッセルの心配はない。ニ〇〇〇メートルを越す高さもっているのでかなり寒いと思って出かけよう。
 ここではもっとも一般的な三峰神社からのコースを紹介したい。
●コースガイド
 池袋から西武秩父線を利用して、西武秩父駅下車。お花畑駅まで歩いて秩父鉄道に乗り換え、終点の三峰口駅で下りる。大輪または秩父湖行きのバスに乗り大輪で下車する。徒歩十五分でロープウェイ山麓駅である。タクシーやマイカー利用なら山頂駅まで観光道路を使って行くことが出来る。
 山頂駅から三峰神社に向かう。指導標にしたがって、よく整備された登山道をたどる。妙法ガ岳への道を左にわけ、ベンチのある休憩所を通過する。雪の少ない年でもこのへんから雪が出てくる。しっかりしたトレースが出来ていることが多く歩きやすい。軽登山靴に軽アイゼン、スキー用のストックといった装備で十分だが、一応スパッツぐらいは持って、急な降雪に備えよう。むしろ怖いのは雪よりも雨かも知れない。途中の霧藻ガ峰小屋と白岩小屋には休日しか小屋番が入らないから、濡れた体を長時間寒気にさらさざるえをえない場合もありうる。雨具は必携である。
 地蔵峠、秩父の宮レリーフがある霧藻ガ峰、お清平、前白岩山、白岩山と歩を進める。白岩山からゆるい下りで芋ノ木ドッケを巻くと、左から長沢背稜からの道と合する。
 長沢背稜は、初心者向きではないが、秩父の冬山らしい味わい深いコースで下山路として利用する人も多い。
 雪の状態によってはそろそろアイゼンをつけ、平坦になった道を行くと、左から大ダワ林道が登ってくる。大ダワ林道をはじめ、日原川沿いのコースは、日陰になるので、積雪量が多く時間がかかり一般的なコースではない。
 大ダワから登り三〇分ほどで雲取山荘に着く。山荘は通年営業。ここで一泊して、早朝に山頂を目指す人が多い。
 山荘からまっすぐに登ること約三〇分で山頂に着く、山頂からの展望は最高。
 南西にニ時間ほど下れば三条の湯に下山できる。南東に下ると小雲取山を経て奥多摩小屋に至る。この小屋は食料持参でないと泊まれないが、混雑するということが少なくてよい。
 防火帯になっている尾根道を進むと、七ッ石山手前で右手に鴨沢への道をわける。鴨沢へは二時間、最短の下山ルートだ。
 さらに七ッ石山に登り石尾根を行けば急な登り下りもなく、鷹ノ巣避難小屋を経て五時間強で奥多摩駅に下れる。展望のよい尾根歩きが楽しめるが、道が南面をトラバースすることが多いので雪が消えている所が多い。
<交通>お花畑駅(秩父鉄道22分)三峰口駅(西武バス20分)大輪駅(ロープウェイ8分)山頂駅
<参考タイム>第一日=山頂駅(2時間)白岩小屋(30分)(1時間)大ダワ(30分)雲取山荘 第ニ日=雲取山荘(30分)雲取山(20分)奥多摩小屋(40分)七ッ石山手前の鴨沢分岐(1時間10分)鷹ノ巣避難小屋(4時間)奥多摩駅
<宿泊>雲取山荘04942-3-3338
<問合せ先>奥多摩観光協会04288-3-2111
適期=十ニ月下旬~四月上旬 日程=一泊ニ日 グレード=技術度★、体力度=★ 二万五千分ノ一地形図=奥多摩湖、丹波、雲取山、三峰
<アドバイス>雪の多少を調べてから出発したい。
(松浦寿治)  雪山入門とガイド(山と渓谷社) 1989.1.10初版第一刷

 
ROUTE GUIDE
富士宮口から富士山
日本の最高峰で冬山の荘厳さを知る。

●プロフィ-ル
 富士山は太平洋気候の山である。そのため一月、二月は雪の量が少なく、三月に入って多くなってくる。また、独立峰のため風が強く、登山者を空中に巻き上げてしまうほどの突風の吹くこともある。四〇〇〇メートル近い高度は、日本の山では唯一、高山病の心配をしなければならないし、マイナス三〇度などという超低温の原因ともなる。
 北面の吉田口、南面の富士宮口のふたつが代表的なコースだが、傾斜がゆるく、落石の少ない富士宮口を紹介したい。

●コースガイド
 JR身延線の富士宮駅からタクシーを利用して富士宮口新五合目まで行くことになる。路線バスは夏山シーズンのみなので利用できない。マイカーが使えれば経費を節約できる。例年四月二〇日ごろ道路が開通し一月には閉鎖される。十二月や一月は雪が少なくなく、風も強いので、道路が開通してから五月の中旬までが適期ということになる。二月や三月に登りたいときは吉田口や御殿場口からのコースをとってほしい。
[2003年8月の注その1]
十二月や一月は「雪が少なく」、と書いたのだが編集者に「少なくなく」と変えられてしまった。太平洋岸に気候帯に属する富士山は冬型の時は風が強くても晴れるのだから雪は少ない。雪が少ないとピッケルやスノーアンカーを雪面に差し込んだり、打ち込んだり、埋めたりして確保の支点を作ることが難しい。アンカーを作れる程度に雪がないという意味で「雪が少なく」と読み替えていただきたい。

 新五合目で身支度を整え登りはじめる。五合目ぐらまではまだ雪がないので、登山道をそのままたどって行く。苦しい単調な登りである。雪の上を歩くようになったら、すぐにアイゼンをつけよう。多量の降雪、雨、午後になっての気温の上昇などは雪崩の原因となる。風にも注意、立っているのがたいへんな風が吹くようなら引き返そう。
 六合目、七合目と登山道に沿って登る。夏の営業小屋が点々とあってよい目印となるし、平らな休息場所も提供してくれる。もちろん無人でなかには入れない。同じような斜度の登りばかりなので、景色を見て気分をかえる。よく晴れていれば、駿河湾の海が見えるはずだ。吹いてくる風は潮風、足下の雪を食べると塩からい。(冗談である)
[2003年8月の注その2]
 雪を食べると塩からい。それは本当のことであって冗談ではない。

 八合目を過ぎたころ。パーティの中に頭が痛いと言い出す者やら、眠気をおぼえる者やらが出てくる。高山病である。初心者のほうが高山病になりやすいようだ。頭が痛くては楽しさが半減するので自信のない人は、頭痛薬を持って行こう。
 斜度が少し急になってきたころ、富士山測候所のレーダードームが見えてくる。ドームに向かって左にトラバース気味に登っていく。足下の雪は氷化し、小さなブロックが重なりあって氷で作ったおろし金のようになっている。
 ひとがんばりで、お鉢めぐりの道に出る。せっかくきたのだから測候所まで行ってこよう。玄関を左に見送って一〇メートルほどの所に日本最高点の標識がある。
 下山は往路をそのままたどる。アイゼンの爪をしっかり効かして、慎重に下る。時間が遅くなると雪面がどんどん凍るので早めに行動したい。
<交通>JR身延線富士宮駅(タクシー1時間)新五合目
<参考タイム>富士宮口新五合目(2時間20分)八合目(2時間30分)富士山測候所(1時間20分)八合目(1時間10分)新五合目
<問い合わせ先>静岡県観光協会0542-55-1385
適期=四月上旬~五月中旬 日程=前夜発日帰り グレード=技術度★★、体力度★★ 二万五千分の一地形図=富士山、須走
<アドバイス>マイカー利用の場合、日本ランドハイウェイへの道がわかりにくいので、大きなハイキング地図を持っていくと便利。アイゼンは必携、ピッケルよりも長さの調節できるストックのほうが単調な登りに耐えられる。晴れることの方が多い山でアタックチャンスは多い。反対に天気が悪くなったらすぐに引き返すこと。(松浦寿治)
[2003年8月の注その3]
 「長さの調節できるストック」によるトラブルを多く経験した。調節のねじがバカになってしまいスポールのスライド部が止まらなくなるのである。ねじ式でなくて穴にノブがパチンとはまる方式(表現がむずかしい)がいい。傾斜のゆるい富士宮口はストックで可だが、そうでない吉田口などはピッケルを持たねばならない。

雪山入門とガイド(山と渓谷社) 1989.1.10初版第一刷

 
救急法ABC

救急法ABC

 山行中に思わぬけがをしたり、急に病気になってしまうことがある。救急車の来ない山の中だから、医者に診てもらえるまでにはかなり時間がかかる。救急法の基礎知識を学んでおきたいものだと思う。しがも現代の最新のものを学んでおくべきだ。知らないうちに、間違った知識を身に付けている可能性があるからだ。
 先日、幼児向けの教育映画を見る機会があった。池で溺れた者を助け上げ、お腹を押すと口から鯨の潮吹きのように水と、ついでに魚が出てくる。息を吹き返して、ああよかった、という内容を含んだ動画だった。
 これを見た幼児は、溺れた=水を吐かせる、という図式が頭に刷り込まれてしまうのではないか。いや私たちはもう刷り込まれていて、人工呼吸(MTM)を学んでいなかったら、溺れた者の水をすぐに吐かせようとするのではないだろうか。
 私の手元に日本赤十字社安全課が昭和四十一年に発行した『救急法教本』がある。そこでは心臓マッサージが省かれていて、出血・呼吸停止~の順に手当てしていくように記されている。現代の救急法と少し異なっているのだ。昭和四十年代、登山ブームといわれた頃にのみ救急法の講習を受けた人は、けが人を見たらまず止血点で出血を止め、次に人工呼吸、それからショックの予防をしようとする。私も仲間の医師に指摘されるまではそうしていた。止血はその部位を直接押さえるだけでよいのだそうだ。
 命にかかわるようなけがの時、その場にいる者がまずやらなければならない救急法は、AとBとCである。AはAirway=気道確保、BはBreathing=人工呼吸、CはCirculation=心マッサージ。医者がやってもABCしかない。ただ、医者はDEFと続けられる。Drug=薬、ECG=心電図、Fibrillation=除細動。
 ABCのやり方はきちんと日本赤十字社などの救急法請習会で学ぶべきだ。現代の講習は、電子機械を積んだ人形でABCの練習をする。
 山で事故が発生したら、まず安全な場所に避難(ABCが先の場合もあるだろう)、次に救急法ABC、次いで他の応急処置、それから下山活動や待機・連絡(必ずメモする)活動に移るということになる。
岳人1996年1月号掲載

 
懸垂下降

懸垂下降

 剱岳源治郎尾根は平蔵谷と長次郎谷の間にあって、八ツ峰などの眺望を楽しみながら剱本峰に登りつめる。バリエーションルート入門というべき好ルートだ。さして難しい所はないが、途中三〇メートルの懸垂下降がある。
 その懸垂下隣の場所にさしかかったわがパーティ、サブリーダーが懸垂の支点として設置されたらしい丈夫な鎖にザイルをセットした。
 「赤引き」(二本のザイルを使っているので、回収の時に引くザイルの色を確認)と言ってから、彼は下降を始めようとした。
 「ちょっと待って」リーダーのMはザイルを上に強く引いた。残置スリングの束の中から、支点にセットされているはずのザイルがすっぽりと外れてきた。アッ!
 懸垂下降はすぐに覚えられる。覚えてしまえばなかなか爽快で楽しいものだ。そしてその安易さゆえに内在する危険を見過ごしやすい。いくつかの注意点をまとめてみよう。
 下降地点の選定は重要だ。浮き石の多い所、ルンゼの中などはザイル回収時に落石に当たる危険がある。
 懸垂の準備はまず、各自がしっかリセルフビレイをとってから。懸垂の支点が確実にとれているかは複数の目で確認すべきだ。ハーケンやボルト一つなんてのは死に直結するほどに危険(最低でも三つはほしい。二本のハーケンで同じリスに打ってあるのは一本と同じ)。細い濯木も怖い。残置のスリングはザイルの回収時の摩擦で傷んでいるから、自分のを足す。末端は結ぶ(下がブッシュ帯だったり、縦に細いクラックがある場合など結ばない方が
良いこともある)。
 下降の途中で落石に当たるかもしれない。場合によってはプルージック結びなどで懸垂用ザイルにビレイをとるべきだ。初心者はもう一本ザイルを使って、上から確保してあげたい。
 初めに降りた人はザイルを引いて動くかどうか確認、さらに先に進めるか偵察(先に行けなければ進退窮まる)してから次の人を降ろす。
 最後の人は、二本のザイルの間に手やカラビナを入れてザイルのねじれを取りながら、降りてくる。
 ザイルの投げ方一つとっても知らないことは多いはず。それだけ情報が乏しいのだ。今後、技術書を書く人はぜひ懸垂下降の項目にぺージを割いてほしい。先輩は懸垂下降の技術を確実に伝えてほしい。
岳人1995年4月号掲載

 
独立峰の風

独立峰の風

 富士山の六合目付近での雪上訓練を終え、メンバー六人一列縦隊で下り始めた時だった。
 突然、非常に強い風が吹いた。即座に体をかがめ、ピッケルを山側の雪面にさす。倒れそうになる体を立て直し、風に耐える。倒れて滑落停止の体勢に切り替えることも考えたが、体中に砂礫がぶち当たっていて、もし雪面に伏せれば直径の大きい礫が頭が当たってしまうことが直感でき、あきらめずに立っていようとがんばる。飛び交う雪と砂塵で目の前は黄土色、自分の足さえ見えない。
 ようやく風の息が切れ、他のメンバーの様子を確認した。立っていたのは自分だけだった。男性三人が倒れているが、ちょっとけがをした程度で、すぐに立ち上がる。女性二人は数メートル宙に飛ばされた。一人はどうにか無事、もう一人は着地の時に足首を骨折した。すぐ近くにある六合目の小屋に向かう。骨折した女性は這って行く。幸いにも次の風の来る前に、みな避難
を終えた。
 富士山では(独立峰では)、例えば西から強風が吹いたとすると、北から北北西の斜面と南から南南西の斜面は突風域となり、北から北北東と南から南南東の七、八合目斜面はツムジ風域、東側一体は弱風域となる。吉田口は北ないし北西の風、御殿場口は西ないし南西の風のとき、登山ルートが突風域に入る。
 山頂の風速が二〇メートルを超えると、強風域、突風域などでの行動は極めて困難になるといわれている。もちろん、前記の風の例でも分かるように、実際にはもっと複雑で予測は難しいと考えなければならない。
 冬山の風のパワーは夏の約二割増し、ということは知っておいてほしいことだ。気体の体積は、温度が一度下がるごとに、〇度のときの体積の二七三分の一ずつ収縮する(シャルルの法則)。同じ体積で考えれば、二七三分の一の空気の粒子が多くなるということだ。
 その割合で、気温二五度の場合とマイナス二五度の場合を比べてみると、体に当たる空気の粒子は比率にして約二割〇分二厘多くなり、その分が風のパワーに加算されるというわけだ。 雪山の耐風技術は充分にトレーニングしておきたい。
岳人1995年2月号掲載

 
スターウォチング

スターウォッチング

 木枯らしとだえて冴ゆる空より、地上に降りしく・・・と歌われるほどに冬の星空は美しい。冬は寒さのため空気の密度が上がり、光に対する屈折率が増加する。そのため、わずかな空気のゆらめきが星の光を大きくまたたかせる。さらに全天で二十一個しかない一等星が七つも集中して見られることが、その美しさの因ともいえるだろう。
 街の明かりが避けられるような山(冬型の気圧配置のときに晴れる山がいい)に行ったら、寒さをおして星を見に出よう。まず南の空、二月の初旬の午後八時ごろだったら、正面にオリオン座が見えるはず。オリオン座の左上の赤星はペテルギウス、右下の青星はリゲルという一等星(以下名前のでてくる星は一等星)。オリオン中央の三つの星をたどり左下に目を移動すると、大犬座に出会う。ここでは全天で最も明るい星シリウスがまたたく。ペテルギウスとシリウスを結ぶ線を底辺とする正三角形(冬の大三角)のもう一つの頂点に小犬座のプロキオン、その上に双子座のボルックスがある。
 再びオリオン座にもどり、さっきの中央の三っつの星を右上に向かってたどると牡牛座の左目にあたるアルデバランがあり、牡牛の右目はプレアデス星団(昴)だ。昴は一等星ではないがその美しさには定評がある。牡牛座から上にたどると御者座があり、カペラが目立っているはずだ。これらの星々は東から西に一時間に十五度のペースで巡っていく。
 北の空の星々は、南の空と反対の左回りに回っていて、一年中見ることができる。中心は小熊座の北極星。小熊を心配しながら母熊(大熊座、北斗七星)が回る。他にもカシオペア座、その夫のケフェウス座、娘のアンドロメダ座などがあるが、一つも一等星がないのが残念だ。
 小さいころは、星といえば七夕、織女と牽牛そして天の川を思い浮かべたものだ。夏の南の空は琴座の織女ベガと鷲座の牽牛アルタイルそして白鳥座のデネブの作る夏の大三角形が有名だが、なんといっても銀河系を中心方向に向かって見ることになるので、冬よりずっと大きく分厚く見える天の川が圧倒的だ。しかし、子供が楽しみにしている七月七日の夜空は、多くの場合、まだあけぬ梅雨の雲に隠されてしまう。
岳人1994年3月号掲載

 
日の出・日の入り

日の出・日の入り

 日本百名山の完登を目指している友人のA氏は、十月の連休を利用して九州・宮之浦岳に向かった。屋久島空港から楠川登山口を経て白谷山荘に入り一泊。次の日は山荘を日の出とともに出発、宮之浦山頂を往復し、途中の高塚小屋に明るいうちに到着できたそうだ。いくら健脚のA氏でも、コースタイムは十三時間以上のはずなのに・・・「ウソーッ」。
 地球の地軸は、太陽と地球との公転面と垂直の方向に対して二三・四度傾いている。このため例えば冬、北極地方では一日中夜、南極地方では一日中昼、赤道地方では昼夜の時間が同じといったことが起こっている。つまり緯度によって昼の長さがちがうわけだが、東京と南の屋久島で二十八分、北の利尻島とでは約七十八分(一月一日の計算)もの差が生じてくる。
 太陽は東から出て西に沈む。当然西の方ほど日の入り時刻は遅くなる。地球は二十四時間で三百六十度自転するから前者を後者で割って一度につき四分、そこで、屋久島で約四十分(通年同じ)の差が生じる。前記の緯度による差も合わせれば、一時間近く日の入り時刻が遅くなるということになる。
 朝八時から夜五時までという日常の行動パターンを、昼の長さが短い正月前後の登山には適用出来ない。日の出・日の入りの時間のおおよその目安を知っておくのは重要なことだ。鹿児島七時十七分・十七時二十五分、大阪七時五分・十六時五十八分、東京六時五十分・十六時三十八分、札幌六時六分・十六時十分(一月一日付の計算)といった具合である。
 危険地帯の通過を伴う雪山登山では、時間とのかけひきが成否を決定する場合が多い。行動のスピードが速いほど安全の度合いが高まるから昼食・休憩の時間を惜しんで歩きながら行動食を食べるし、荷をできるかぎり軽くする。夜、夕食を食べて体の温かいうちに寝てしまい、寒さで目が覚めたら火をたいて暖をとり、その火で朝食を作ってしまう。日の出前には行動を開始し、樹林帯の中を懐中電灯の明かりで進み、午前中には危険地帯を通過して
しまう。その上、日の出が拝めるというおまけがついてくる。
岳人1994年1月号掲載

 
浦和浪漫山岳会の夏合宿に参加して
Rohman 29号掲載 (編集:池田知沙子

浦和浪漫山岳会の夏合宿に参加して
 私の家の前を江戸川が流れている。前々からこの川の最上流である奥利根の沢に入りたいと思っていた。あれこれ準備をしているとき、幸運にも「岳人」等で有名な岩崎元郎氏のはからいで、浦和浪漫山岳会の夏合宿にずうずうしく参加させてもらえることになった。以下はおじゃま虫の記である。浪漫の方々へのお礼のつもりで書いてみたが、もし失礼があればどうかお許し願いたい。浪漫の方々には心から感謝している次第であります。
 8/12 八木沢ダムより水長沢出合まで、奥利根湖を、浪漫山岳会所有のモーターボート「木精号」でクリアー。ベースキャンプにつき一服したあと小穂口沢に向かうということなのでついて行くことにした。水長沢出合のベースより小穂口沢出合まではほんの数分、てっきりその日のうちにベースにもどるのだと思い軽い身じたくをしていたら、途中でビバークすると聞き,あわててシラフカバーをザックに入れて出発。メンバーはリーダーの小松さん、それと米田さんと私の3人。小穂口沢には岩魚つりに行くのが目的だったのだが、私は何をしに行くのだかよく気がついておらず、前日までの仕事の疲れもあって、ボケーとしているうちに時がすぎていった。暇だったので石を積んでカマドをつくり、夕食を作って、他のメンバーがつりから帰って来るのを待っていた。後でわかったことだが、浪漫の人は石のカマドを作らない、太いマキを2本火床にし、たきつけにはおしげもなくメタを使う。雨の中でも、マキの少ない草原でもたき火をする。激しい雨がふって増水した、13日の夜でも、フライを使って屋根をかけたその下でたき火をする。どうやらこよなくたき火を愛している様子なのだ。それは行動中にコンロを持たないということでもわかる。どうしてもたき火の出来ない時はメタクッカーを使う、メタとマキとが同じ線上に並んでいる。食事を作る前に米田さんとツエルトをはった。米田さんのてぎわがのんびりしている。どうも変だなと思っていたら、浪漫の人はツエルトをはらないで、フライを使って小屋がけ
をし、その下でねむる。それでもフライの内と外ではあたたかさがちがう。テント内とちがって床面は広いし、居住性はなかなか良い、問題は虫さされだ。虫はシラフカバーの上からさして来るようで、私はこの合宿中に数百ヶ所はさされてしまった。初日はかゆくて夜眠れなかったくらいだが2日目からは慣れた。浪漫の人は虫さされの薬はあまりぬらないが虫にさされない薬はよく体にぬっていた。それでも虫はさすのだけれど、慣れているから平気だし、虫もさす人を選ぶようだ。どこの家でもよく虫にさされる人がいるが、初日の私はどうやらそれだった。
 8/13 小穂口沢をつり登る。小松さんのしかけはハリと糸のみ、長さは1m20cm、私のは1m50cm・もちろんおもりと目印がついている。しかけが短いので糸をたらしたまま動ける。もちろんこれは私のも同じ、竿をたたむ時、私はいちいちしかけをはずしてしかけまきにしまう(本にはこれが速いと書いてあった)。小松さんはさおにまきつけたビニールテープにハリをかくすと、しかけをつけたまま竿をたたんだ、これはたいへん速い。どうして目印をつけないか聞いてみた。いわく目印をつける時間がパーティ行動に迷惑をかけるとのこと、何もつけなければ、からまりにくいのだから速いのだ、シンプルイズベストと知るべし。小松さんはハヤを数匹、私も大きなハヤを1匹つり上げたが、魚止めまで行っても岩魚はつれなかった。昨日魚止めで2匹つった人がいるというが残念だ。
 ベースに帰り、いよいよ水長沢(みながさわ)に出発、リーダーは小松さん、それに米田さんと私、そして、とってもすてきな近藤さんという女性の4人パーティである。ゴーロ歩き大好きという近藤さんがトップを行く。大きな滝を巻くのがむずかしい。かすかな踏み跡をたどるが、もしそれがなかったらずいぶん時間がかかることだろう。いたる所に「ろうまん」と書いた赤布を見る。奥利根の開拓者であるという「ろうまん」のいぶきを感じる。次の日のことだが、幸いにも私がトップを歩かせてもらったのであるが、大きな滝が3つある所を右岸から巻いた。川が逆くの字にカーブしている所なので一応セオリーどうりに巻いたつもりだ。ふみあとはまったくなく、この沢の深さをゾクゾクするほど感じられた。さてどうやって再び沢にもどるかとあれこれやっていると、リーダーの小松さんが下降点をみつけてくれた。おり立ってみても、そこが一番おりやすい所だとわかる。あざやかなルートファインディングだ。そう、浪漫の人はよく地図を見て、よく記録をと
る。長いつみかさねが、小松さんのしっかりした技術につながっている。えらいものだと思う。文神沢出合着、ここにフライをはる。激しい雨がふってきていた。フライの下で小さなたき火をして暖をとっていると増水が始まった。じわじわと水かさが増し、ついにたき火の火床は水に没してしまった。あわてて上に逃げる。10mも登らない所に、旧文神小屋あとがあった。ラッキー、すばらしい幕場、再びたき火をし、あたたかい1夜をすごした。まさかこの時、ボートとエンジンが流出、湖岸道まで水没し平ヶ岳をこえて帰るはめになるとは思わなかった。とまれ、この夜は快適であった。
 8/14 水長沢をつめる。高巻き1回、小滝をこえ、やぶ沢をつめ、平ヶ岳の大草原へ飛び出す。山頂にてビバーク。そうそう7時30分とか9時30分とか、30分のつく時間に無線を開く。5分間入電を待つのだ。「コチラローマン、コチラローマンコマツデス、カンドアリマスカ」「コチラローマン、タナベゲンザイチドコドコ」なんていう交信をやっている、トランシーバーでなくて1000mWのアマチュア無線を使っているけれど、沢の中での交信はむずかしい。平ヶ岳の山頂がもしベースキャンプだったら、どことでも交信ができて便利だろうと思う。いわく「たき火のできない所にベースはおきたくない」とのこと、たしかに平ヶ岳の山頂では沢登りという雰囲気ではない。沢の水、たき火、つり、酒、ゴロ寝といったことにこだわる浪漫の人は、ここをベースにするくらいなら再びモーターボートを買い入れ、水長沢出合にベースを作ることだろう。2100mの山頂の夜は寒い。でもさすがに盛夏、着たきりすずめの私でさえ、なんとかねむることができ
た。浪漫の人はテントで寝ていない。その分寒いから衣類をたくさん持っている。私は着替えといってもクロロファイバーの下着、上下を持っているだけだ。これはたいへんコンパクトでいいけれど、なんたってこれしかないから浪漫の人のザックがなんでも入ってるドラエモンのポケットのように見えた。そう、彼等はけっしてガツガツ登っているのではない。かくし酒を持ち、かくしつまみを持ち、かくし衣類を持ち、山頂で天ぷらまでやってのけるゆとりを持って、ゆったりと沢登りを楽しんでいるのだ。学生山岳部の2倍以上のスピードを持ち、予備日などはじめからないというのが社会人山岳会のあたりまえの姿だと思っていたけれど、ここはどうやら、もっとインテリジェンスグレードの高い所だった。
 8/15 水長沢尾根を下る。途中から井戸沢左俣を下降、懸垂下降をくり返す、6Mほどの小滝の上、ちょうどよい木が生えていない、私は2本のハーケンを打った、けんすいを始めようとした時、1本目のハーケンが見事に抜けた。寿命が10年くらい縮まった。懸垂とはこわいものやりたくないものとはマイケルロフマン氏の説く所だが、ほんとうにそうだと私は思う。ようやくベースに帰る。次の日は平ヶ岳を越して下山だと知らされた。まず12時間以上はかかるはずだ、ドラエモンのザックにベースの装備を追加するのだから、そうとう強行軍となるはずだ、それでも夜は、大きなたき火をかこみ、花火を打ちあげ、岩魚の骨酒やさしみ(ハマチの味がした)、天ぷらに舌づつみを打ちつつ夜はふけていった。
 8/16 平ヶ岳をこえる、予想通り苦しい下山行だった、夜暗くなりヘッドランプをつけたころ、中の岐林道に出る、合宿終了・・・・・・・・・・・・一服したら、かくし酒が出てきた。
ROMAN 1987年9月号掲載

 
谷川岳・一ノ倉尾根
松浦の忘れがたい山なので、山の理科ノートに掲載します。登山情報誌「岳人」1992年6月号に吉井英生(ひでき)さんが報告した文章です。

記録速報スペシャル、Special Report
一九九二年三月二十七日~二十八日
谷川岳
一ノ倉尾根登攀
吉 井 英 生


 文学であろうと音楽であろうと「古典」と呼ばれる作品には、時代の枠を超えた味わいがあるものだ。仮に、登山に「古典」というものが存在するならば、積雪期の一ノ倉尾根はそれに含まれて然るべきだろう
 谷川岳の一ノ倉尾根は一ノ倉岳から一ノ倉沢と幽ノ沢を二分するように一直線に下る尾根である。一ノ倉沢とマチガ沢を二分する東尾根とともに、積雪期には素晴らしい雪稜登攀ルートになるが、東尾根が文字通りの雪稜とすると、一ノ倉尾根はやや岩登りの要素が加味された技術的には高度なルートといえるだろう。しかも、雪稜、雪壁、ルンゼ登高、人工登攀など雪山の総合力を試されるというルートそれ自体の魅力に加え、一九五五年三月の古川純一氏の「わが岩壁」に書かれた苦闘の記録に代表されるパイオニア達の情熱を思う時、いやがおうでも登攀意欲が盛り上がるルートともいえよう。
 三月二十六日 夜、メンバー三人(松浦寿治、伊藤隆夫、吉井英生)で雨の東京を出発し、頭の中で何回も思い描いた一ノ倉尾根に対面すべく、関越自動車道を一路、土合へと向かった。
 二十七日 水上インターを降り、車窓の外をねぼけ眼で見やると、薄曇りの彼方にうっすらと星がまたたいている。上越は東京ほど天気は悪くないようだ。ここ二週間ほどの菜種梅雨の影響で、ぐずついた天候が続き、明日のコンデイシヨンが心配。土合駅ではほぼ敗退を覚悟して仮眠をとった。
 暗いうちに起床して、登山センターから一ノ倉沢出合へと向かった。星や月がうっすら見えていたのが、明るくなるにつれ曇天へと変化した。一ノ倉沢出合で朝六時の天気予報を聞いても、各地とも雨の予報が多い。九月の偵察によってルートの概要はわかっている。悪天下の登攀はかなり厳しいものになるだろう。難しい判断ではあるが、とりあえず合議の結果、引き返すことが可能な場所まで行って、天気の様子をみることに決した。
 一ノ倉尾根に末端から取りつくと雪は締まった状態で歩きやすい。おそらくここ数日間雨が降っていたのだろう。ここからピナクル群の基部までは平凡な歩きだが、雪の多い年にはラッセルに苦しめられる所だ。今年は寡雪のため、みるみる高度を稼げた。ピナクル群の基部でアンザイレンして、いよいよ核心部だ。一ピッチ目の雪壁を抜けて、小尾根を左へ巻き、ルンゼを登高すると小さな鞍部に着いた。ここがピナクル群への入り口である。ピナクル群は雪が不安定な時はスリリングだろうが、今年の状態はそう悪くない。おおむね幽ノ沢側を巻き、途中一カ所の懸垂下降を混じえて、登高と下降が息をもつかせないほど連続した。途中、ピナクル群に突入する前で午前九時の天気図をとると、日本海側に小さな高気圧があって東進している。この時点で、きょうはおそらく曇りのままだと判断して、登攀のスピードを早めた。天候はあいかわらずはっきりしない様子の高曇りで、われわれのプレッシャーは高まる一方だった。
 六つほどの峰が連なったピナクル群を越えると再びやせた雪稜となり、それはやがて雪壁となった。滑落すればたちまち三人とも一ノ倉沢へ真逆さまだろうという緊張感を胸に、バイルとアイゼンを動かす。アンザイレンしてから約四時間半、第二の核心部である懸垂岩に到着した。ルートは正面をフリーで登るものや、左手の浅い凹角を登るものもあるらしいが、いずれも難しく、通常はバンドを左上して約二〇メートルの懸垂岩の垂壁を人工登攀で越えるのが一般的だ。垂壁にはボルトが適度にあって、登りやすい。アイゼンを装着した人工登攀は私には初めての経験だったが、条件のよさもあって楽しいリードができた。懸垂岩を越えると悪い凹角をフリーで抜け、草混じりの急斜面をひたすら五ルンゼの頭に向かって登って行く。人工登攀を無事にやり過ごしほっとしたためか、三人ともスピードが落ちてしまい、ただ目の前の仕事をかたづけるといったふうに登高していった。時間は十六時を回り本日中にルートを抜けきれるのだろうかという不安が一瞬心によぎる。皆、口には出さないが同じ思いのようだ。
 やがてゴジラの背を思わせる岩稜をコンティニュアスで進んで行くと、幽ノ沢三ルンゼのなれの果てのダイレクトルンゼの基部に到着した。ここが第三の核心部である。時間は十七時半。三人とも疲労の色が濃い。しかしあす悪天下にこの二〇〇メートルのルンゼを登ることを考えると、多少暗くなっても抜けてしまった方がいいだろう。このルンゼの終了点が五ルンゼの頭だ。
 意を決して、右手にトラバース気味にルンゼに入り込む。ルンゼはまるで白い滑り台のようで、一直線に落ち込んできている。所どころにブルーアイスが光沢を放ち、ビレイポイントも少なそうだ。一ピッチ目は氷にアイスハーケンを打ち、バイルとピッケルを効かせて支点として確保し、二ピッチ目は細い木の枝と不安定なダイナミックビレイで確保する。この二つのピッチははっきりいって冷や汗ものだった。二ピッチ目の途中で日が暮れ、懐中電燈による山行となった。月は出ているようだが岩でさえぎられて、私達三人は、まるで闇夜の中を攀じるような感覚を覚えながら、一歩一歩登高していった。
 不安定なビレイ、寒さ、疲労、そして暗いルンゼの圧迫感が混然一体となって押し寄せてくる。時々、出口のないルンゼを機械的に登っているという感覚に襲われながら、今は確実な動作を繰り返すしかない。
 三ピッチ目以降は比較的安定した灌木で確保できたものの、闇夜に突きあげていくようなこのルンゼ登高は、一生忘れられない思い出となった。五ピッチ目のリードをしている私の目の前にようやくルンゼの終点が現れた。私は息を切らしながら確保し、あとの二人を引き上げた。時間はすでに二十一時になろうとしていた。ここでビバークすることに決めて、三人とも濯木からビレイをとり、ツェルトを被った。狭いテラスで膝を抱えたビバークではあったが、疲れのために三人ともすぐに瞼が重くなった。
 二十八日 昨夜の窮屈な姿勢のビバークのため熟睡できなかった。このビバークが悪天下であったらと想像するとゾッとした。しかし心はなぜか晴れやかだった。天候は晴れている。ここから頂上まではほんのひと息だ。五時四十五分に動きだして、岩混じりのやせた雪稜を頂上へと向かった。雪の量は少なく、ほとんど夏と変わらない。やがて尾根はたおやかな雪面に吸収され、のろのろ進んでいくとあっけなく頂上に到着した。
 七時二十分、私達は待望の一ノ倉岳にいた。いつも見慣れた風景だが、いつもと違う風景。そして心地よい脱力感。登山は人間の行為の一つだが、よリ困難を求める近代の風潮と関連して、いつしか登山は人間行為の「目的」となっていった。目的を早く達成するためには効率が重視される。いかに速く歩き、うまく攀じるかが問題となってくるのである。
 その結果、登山の手段であった「岩登り」や「沢登り」、はたまた「縦走」までがルート別に序列をつけられ、上達のための最短距離が設定され、「マニュアル化」が進んでしまい、果ては登山の手段が目的にすり変わっていった。そうした手段の目的化の再生産を通じて、登山の「細分化」が進んでいった。今や登山はそういった方向に過度に進みすぎ、袋小路に入ってしまったと、私は考えている。
 一方、一ノ倉尾根には様ざまな登山の要素が集約されていた。いってみれば、一つ一つの登山の手段を組み立てて、登山という行為そのものを認識させてくれた。本来「遊び」には、対象を分解する方向と要素を組みたてる二方向性があると仮定すると、一ノ倉尾根はむしろ後者の楽しみを満喫させてくれる。自己分解の進みすぎた登山本来のよさを噛みしめさせてくれること
が一ノ倉尾根が登山ルートの「古典」たるゆえんではないだろうか。

 
気象遭難

気象遭難

 昨年十一月下旬の連休に剱沢で発生した雪崩による遭難事故は耳新しいところだ。気象遭難の代表的な例であろう。
 年末年始の山で、連日の悪天候で行動できずにSOSを発してヘリコプターで吊り上げてもらう、なんていう新聞報道も以前にあった。あれも気象遭難である。
 集中豪雨による鉄砲水での事故、冷雨による疲労凍死、アイスバーン上での滑落、指折り数えてみると、山での事故に気象は大きな割合を占める。直接原因としてばかりでなく、雨のために滑りやすくなっていた赤土の道で滑ってころんで手をついての手首骨折、握ったクサリが雨で濡れていて手が滑って転落死などという、気象が遭難の間接的な要因となっている例も少なくない。
 こう考えると、山岳遭難のほとんどは気象遭難ということになりそうだ。千変万化する気象、遭難の要因になって当然と思うが、ことさら恐怖であり注意を払わなくてはいけないのが、冬山の気象であろう。
 西高東低、登山者ならずとも知る人の多い、冬の典型的な配置の呼び方である。 太陽が南半球に移動すると、われわれの住む北半球は冬となる。シベリア大陸は冷却され、寒冷で乾燥した高気圧のシベリア気団を形成する。他方、海洋は冬になっても冷却されず、日本の東方海上では低気圧が発達する。その結果が西高東低という気圧配置を形成するわけだが、シベリア大陸に発達する高気圧は、そのときどきの様ざまな条件によりその中心部の位置に変動がある。
 高気圧の中心が南によっているときは里雪型で、比較的風が弱く平野部に降らせる。山間部の降雪は少ないが、寒気が厳しいので注意が必要。
 中心が北寄りの時は山雪型で、等圧線が南北に伸び(2002年8月の注・・・山雪型は等圧線が縦に、里雪型は等圧線が斜めに走る)、季節風は非常に強く、山岳地帯は大荒れで行動不能となる。好天を迎えたとしても雪崩などの危険があり、行動できないまま次の悪天につかまったりすると最悪の結果を招きかねない。
 特に剱岳や白馬岳など、日本海側の山では荒天率が高いので、体力、気力、技術の充実をはかり、気象遭難なんてことにならないように冬山に臨みたい。
岳人1993年2月号掲載

  
山に登る理由

山に登る理由(わけ)

 一千万年前に、ヒトに近い動物といわれるラマピテクスが現れて、二本足で立って歩いた。
 二百万年前のホモハビリスは、簡単なものではあるが、道具を使い始めた。
 七十万年前、ホモエレクトスは火を使うようになった。
 十万年前のネアンデルタール人は洞窟に住み、衣服を着るようになり狩りをして暮らした。
 四万年前のクロマニヨン人は、洞窟に色彩のある芸術的な絵を残した。ここまで来ると、もう現代人とほとんど変わらない。
 約一万年前に大革命が起こった。農耕や牧畜の始まりである。農耕や牧畜は、自然の恵みだけを頼りに生活することに比べたら、飛躍的に安定した食糧供給システムである。この時からヒトは、自然界の食物連鎖のつりあいを離れ、生態系の中で他の生物と共存して生活することをやめたのである。
 この革命はヒトの生活も変えた。人口の増加、多人数の生活のためのルール、罪と罰、土地の所有、貧富の差、国家の成立、環境問題・・・などのことが生じた。
 そしてその後、わずか数千年の期間のうちに、科学技術を駆使した現代生活をクリエートするまでに至ってしまった。
 少なくとも数万年の単位でゆっくりと生活のパターンを変えてきたヒトにとって、千年のオーダーでの大変化は、早急にすぎた。環境の変化に身体の進化が追いついていけないから、様々なストレスが生じてくる。
 歩きたい、狩りをしたい、道具を使いたい、焚き火をしたい、といった原始の営みに端を発する様々な欲求を満たしてやらないと、このひずみからのがれることはできない。そこでヒトは、スポーツとかリクリエーションとか趣昧とか呼ばれる、他の生物のやらない生活様式を工夫考案したのである。
 レクリエーションとして山に登ることは、その工夫の一つであるといえよう。登山やハイキングは、原始時代の生活のシミュレーションをたくさん体験できるから、レクリエーションとして、大変優れたものである、といえる。
 かくて登山者は、増加の一途をたどることになった。
岳人1992年10月号掲載

2013.10/20NHKテレビ「病の起源」より補足
*脊椎動物(魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)には脳がある。その脳に 扁桃体という所があって、恐怖を感じるとストレスホルモンを出す。ストレスホルモンは筋肉を刺激し、ハイスピードで敵から逃げることが出来るようになる。
*魚を天敵の魚と同じ水槽で長く飼うと、ストレスホルモンが出続けて、脳細胞が委縮し、ストレス症になる(魚で実験出来る,脳細胞の委縮はMRIで確認出来る)。
*チンパンジーは社会を作り生きているのだが、隔離して孤独にすると恐怖でストレスホルモンが出てストレス症になる(チンパンジーで実験出来る)。ヒトも同じで孤独でストレス症になる。
*ヒトの脳は発達していて、前記の扁桃体は海馬(記憶をコントロールする)の隣にあり、「恐怖と共に覚えれば忘れない」仕組みになっている。
*<松浦の疑問>恐怖と反対の「発見の鋭い喜びと共に覚えれば忘れない」は扁桃体か別の部分か?
*現代もアフリカに残る、狩猟採集をして暮らす部族にはストレス症は発症しない。
*狩猟採集で暮らす部族は食べ物を均等に分け合って食べている(平等)。平等は扁桃体の興奮を和らげる(ヒトで実験出来る=MRIで確認出来る)。農耕牧畜を始めた現代人は不平等な社会を作ったために扁桃体を癒すことに工夫が必要になった。
*運動や、朝に起きて夕に寝る生活をすると扁桃体が癒される(MRIで確認できるようだ、多くの人が体験で理解出来る)。
※つまり原始の狩猟採集の暮らしを取り入れることはストレス症になりにくいしストレス症の治療にもなる。

 
登山靴の重さ

登山靴の重さ

 一昔前だったら無雪期だろうと沢登りだろうと山に行く時はいつも革の重登山靴をはいていた私も、今では六種類ほどの靴をとっかえひっかえ使っている。プラスチックがいいか、革がいいかなんてことも最近は悩まなくなった。両方持っていって用途によって使い分けているからだ。靴も使い分ければ長持ちするので、結局安上がりになる。
 無雪期の山は運動靴か軽登山で行く。軽い方がよいというわけである。
 そうはいっても、体重六十五キロの男性が靴の重さ二キロを軽量化すると、六十五分の二(約三・一パーセント)だけ楽になるといった単純なものでもない。人が生活するための代謝に使われるエネルギーを考えに入れなくてはならないからで、四人乗ってる自動車から一人降りても燃費は四分の三にはならないのと同じである。
 筆者のつたない計算によれば、先の男性は二キロ荷を軽くすると約一・二パーセント、女性(体重五十五キロ)では約一・六パーセントのエネルギーが節約出来ることになる。この量は一日歩いても男性四十六キロカロリー、負担の大い方の女性でも五十五キロカロリーというわずかなもので、チョコレートひとかけら食べればまかなえる。
 どうやら靴の重い軽いは関係ないということになりそうである。
 人のエネルギーの消費量は極端な場合を除けば、背負っている荷の大小よりは、その人の行動がのんびりした軽務なのか、汗にまみれる苦しい激務なのかによって決まるものである。前者より後者は数十パーセントという大きなオーダーで増加する。
 さあ雪山だ!とばかりに急に重い靴に変えれば、今まであまり使われないですんでいた筋肉に負担をかけ、そこで激務をさせることになる。使われない筋肉は毛細血管の量が少ないのですぐに酸素や養分の供給が不足する。
 脳は激しい呼吸をうながし、これを受けて体全体に激務が広がってしまう。長く続ければわずか二キロの違いがバテを呼ぶ。
 シーズンが変わったら、靴慣らし(体慣らし)のトレーニング山行を行いたいものだ。それができるほど数多く山に行けない人は、一年を通して同じ靴ですませる方がよいのかも知れない。
岳人1992年4月号掲載

 
シベリア気団

シベリア気団

 ゆけどもゆけども果てしなく続く大地、シベリア、それにまさる広さの大海原、太平洋、そういった所を旅してみたいと思う。そんな気質が登山者にはあるようだ。けれど、もし茫洋とした広がりの中にわが身をほうり込まれたとしたら、わが身もまた広がりの中に吸収されてしまうことだろう。
 広大さと平坦さは、景色だけでなく上空の大気を同じ性質に広く大きく均質化する。こういう大気のかたまり(広がり)を私たちは気団と呼んでいる。日本は大海と大陸の間に位置する、しかも山地が多い島国なので、上空に気団はできない。そこで、周りにある気団は風向きが変わるたびに入れ代わり立ち代わりやってきて日本上空をほんろうする。夏は小笠原気団、冬はシベリア気団、春秋に揚子江気団、夏の前後はオホーツク気団が影響するといった具合である。
 暖められた空気は軽くなって上昇し風を呼び込む。冷やされたそれは重くなって下降し、風を吹き出す。それで風は冷たい方から暖かい方に吹く。そこで、季節が冬となった場合--冷たく冷えたアジア大陸北部にできた気団(シベリア気団)から、なかなか冷えないで暖かいままの太平洋に向かって風が吹く。大陸の海岸線は北東から南西に伸びるから、それに直行する方向ということで北西の風となる。偏西風の向きとも合わさり、この風はなかなかの強風となる。いわゆる西高東低の冬型による北西の季節風というやつだ。
 冬の冷たく乾いた大陸シベリアから風が吹く。乾燥しているこの風に湿り気を与えてくれるのは日本海だ。これが日本の脊梁山脈に当たって雪を降らせる。日本列島が弓形に曲がっているため、新潟、富山に面する辺りは特に長く海の上を風が渡る。そういうわけで、この辺りが日本で最も降雪が多い。シベリア気団が日本で降らせる雪は、残念なことにシベリアにある量の少ない乾燥した雪とは違っている。トナカイの引くソリや毛皮狩人のクロスカントリースキーはシベリアの大平原を快走するが、日本のドカ雪では立ち往生。日本に来たサンタクロースは汗まみれになって一歩ずつラッセルしないとプレゼントが届けられない。
岳人1992年2月号掲載

 
ザイル

ザイル

 まだ学生だったころのことだ。私と山仲間三人でお金を出し合い、ザイルを買おうということになった。使い方は知らないがそのうち分かる、持っているだけでかっこがいいという強い憧れがその動機だった。
 ザイルには九ミリと十一ミリがある。九ミリは二本で使うものだから三人で一本だけ持つなら十一ミリの方がいいという店員さんのアドバイスを受けて、私たちが買ったのは十一ミリ四十メートルのザイルだった。それから何本も買い換え、いまは九ミリ四十五メートルをよく使っている。独語でザイル、英語ならロープ、わが国の言葉では登攀用命綱ということになろうか。太さはダブルで使う九ミリとシングルで使う十一ミリで、長さが四〇~五〇メートルというのが一般的である。
 十一ミリザイルはシングルで使うので、シンプルな確保システムを作ることができ、操作性に優れ、素早い登攀ができる。加重しても太い分だけ伸びないので、墜落の時は支点や体にかかる衝撃は大きくなるが、伸びの長さを登り直すことが少ないし、伸びによって振られにくいので、墜落を前提とした登り方には向いている。そういうわけで、スポーツクライミングをする人は十一ミリを使用することが多い。
 ダブルで使う九ミリザイルは軽い。十一ミリに比べ〇・五五倍弱、約半分の重さということになる。だったら、九ミリを二本にして持ったほうがいいと考えるのは当然のことだ。安全がダブルになる。個人装備として一人一本ずつ持てばいい。ザイルの長さいっぱいの懸垂下降ができる。墜落の際よく伸びて衝撃が少ない。中間者を作らないで三人で登れる。などというのがその理由である。
 というわけでアルパインクライミングをする人は九ミリを使用する人が多い。
 九ミリや十一ミリザイルの規格ができたのは三〇年も前のことだ。現在の九ミリは当時の十一ミリをしのぐ性能があるという話もあるぐらいだ。いわゆる本番のルートに九ミリシングルで挑む人もいるし、沢登りでは八ミリ以下のザイルも多用されている。危険な場所をなるべく早く抜けるため、軽さや操作性のよさを重視するためだ。ザイルの太さもTPOで選ばなくてはい
けないのである。岳人1991年6月号掲載

<2002年8月12日の補足>
 52歳になったぼくは9ミリザイルをダブルで使うようなことがなくなった。そういうのを使う本番ルートに行かなくなってしまったからだ。重くて、つらくて、怖くて、厳しいアルパインクライミングより初級の沢登りとか、低山の日帰りウォーキングに行きたいのだ。最近使うのは8ミリ30メートル、ハーネスも持たず、スリング4本とカラビナ4つもあればこなせる程度の沢登りが素敵だと感じてしまう。『たくさんの知識を得てこそ、豊かな価値観を持つ事ができる』とは16期のKさんの言葉だが、それをぼくの座右の銘にしようかと思う。上記の文章(ザイルの太さはTPOで選ぶ)を書いた1991年のころ、9ミリをダブルザイルで使うのに集約して価値観があるように思っていて日和田でも広沢寺でもダブルザイルの練習ばかりしていたことを振り返って気はずかしく思う。
 1988年ごろの秋だったと思うけど、小川山屋根岩Ⅳ峰のクラシックルートの1ピッチ目、遠くの木を支点としてザイルを長く伸ばしてセルフビレーをとって3人ぐらい後続の人を上げたら、先に上がった人が気を利かして、ぼくのセルフビレーをはずしてロープを整理してくれていた。セルフビレーに頼って下をのぞこうとしたんだけど、偶然なんとなくそれを引っ張ってみて、それがはずれていることに気がついて、ぼくはまだ生きている。「セルフビレーの意味がわかっていてセルフビレーがきちんと取れるようになってザイルを使用することを提唱しよう」とぼくが考えるようになったきっかけの出来事である。
 明神東稜で大きな岩にザイルをフィックスしてのこり6人をむかえようとした後輩がいた。二番手でいって大きな岩を押して確かめたらそれが動いてしまった。小さなリングボルト一つをセルフビレーの支点としちゃう後輩を何人もみかけた。最近、街には人工の壁が随所に作られて会社帰りのクライマーが週に何度もトレーニングしているけど、人工壁にはセルフビレーをとるところはない・・・。
 「セルフビレーの意味がわかっていてセルフビレーがきちんと取れるようになってザイルを使用することを提唱しよう」と再度確認する2002年の8月、そして今日、ぼくは深川スポーツセンターの人工壁に行くのだ。

 
石灰岩の岩場

石灰岩の岩場

 秩父の二子山にいってきた。この山はその名の通り東西にピークを持つフタコブラクダの背のような山だ。二つのピークは切り立った稜線でつながっていて、一般縦走路でも三点確保が必要な個所があるほど、項上付近は険しい。両面に高さ一〇〇メートルほどの岩壁を有し、日本では数少ない石灰岩のクライミングゲレンデとなっている。
 石灰岩の岩場には、石灰岩であるがゆえの特徴的なものがある。 ホールド=手を掛けるところが大きなスプーンですくい取ったような形をしている。内側はスベスベで外側のスプーンの縁に当たる部分は尖っていて素手で持つには痛いくらいだ。
 空洞=所どころに穴が開いていて、小さなトンネルになっている。入り口からシュリンゲを入れ、別の口から出してクリップすれば素晴らしいプロテクションができあがる。
 小さな突起=白くてつるつるのようにみえるフェイスでも細かい凹凸があってクライミングシューズのフリクションは抜群である。
 生物は、例えば暖かい海の海岸近くに棲息するサンゴは、二酸化炭素と海水中にある大量のカルシウムで炭酸カルシウムを合成し、骨格や殼として利用する。サンゴが死んでもこいつは腐らない。サンゴのような殻を持つ生物の活動の活発なところでは、次々とそれが堆積し、広大な炭酸カルシウムの岩盤を作る。こうしてできたのが石灰岩である。
 炭酸カルシウムは水に溶けないが、二酸化炭素を含む水には、炭酸水素カルシウムとなって溶ける。この反応は可逆反応で炭酸水素カルシウムは二酸化炭素と水を失えば、また炭酸カルシウムに戻る。
 天然自然の化学反応の傑作が鍾乳洞と鍾乳石だ。石灰岩に二酸化炭素を含む天然水が流れると、次第に溶けて空洞を作る。これが鍾乳洞だ。溶けた水がぽたぽたと落ち、水と二酸化炭素が失われ元に戻ってつららのようなものが出来る。これが鍾乳石だ。
 この化学反応が石灰岩の岩場を面白くしているといえよう。石灰岩はまた二酸化炭素を地に固定するので、気体としての二酸化炭素が持つ温室効果を制御してきた。しかし現在は人の出す二酸化炭素によって石灰岩の努力が無になろうとしている。
岳人1991年4月号掲載

 
Mountaineering Seminar
入門者の実践クライミング 松浦寿治
谷川岳
一ノ倉沢 一・二の沢中間稜 
悪名高い一ノ倉沢にあって、一・二の沢中間
稜はさして難しいピッチもない。雪が安定し
てさえいれば東尾根からオキの耳に立つこと
ができ、抜群の展望を誇る雪稜登攀の好ルー
ト。冬の一ノ倉入門ルートともいえる。

 谷川岳一ノ倉沢といえば、岳人ならだれしもが憧れと恐怖の想いを寄せる岩場だ。東京から日帰りで、いわゆる本チャンのロングルートのクライミングを楽しむことができる。
 積雪期、一ノ倉沢は不安定な深雪に覆われていて、クライミングのチャンスをみつけるのは難しい。しかし、三月に入れば日照時間はのび、雪は安定してくる。一・二の沢中間稜はさして難しいルートではないから、移動性高気圧が数日間の好天を約束してくれるチャンスをねらって、恐怖をはねのけてチャレンジしてみよう。
 もちろん経験者の同行は必要だし、近いとはいえ、積雪期なのだから、それなりに予備日は見込んでおく。
 <アプローチとルートガイド>
 谷川岳ロープウェイ土合口駅から、除雪していない旧道を一ノ倉沢出合まで約一時間。もしここまでラッセルを強いられるようなら、初心者を含むパーティーは計画を断念した方がいい。
 出合で登攀準備を済ませ、一ノ倉沢に足を踏み込む。ここで靴がもぐるようなら計画は中止する。靴がまったくもぐらないくらいに雪がよく締まり降雪の兆しもなければ、絶好のクライミング・チャンス。人によって判断の基準は異なるが、私だったら雪崩の危険はまずないと判断する。それでも稜に取りつくまではびくびくものだ。
 一の沢出合を過ぎたら、どこからでもいい、登りやすそうな所から取りついてしまおう。ブッシュ混じりのやや急な雪面を小一時間ほど登ると雪稜となり、項上に木のあるピークに立つ。約一〇メートルの懸垂下降。コルでアンザイレンしよう。
 ブッシュ帯をコンティニュアスで進むと、左から岩峰のある支稜が合流してくる。左右に切れ落ちたナイフエッジの登高となり、緊張させられる。わずかな灌木、ちょっとした岩角、ランニングビレイのポイントを確実にみつけながらスタカットで進む。
 三ピッチほどで核心部は終了。雪稜はゆるやかな雪壁に変わり、やがて東尾根に吸収される。このあたりまで登ればどこでも雪洞が掘れる。もう少しがんばって東尾根第一岩峰の基部まで登れば、ビバークサイトとして都合のいい平坦地がある。
 第一岩峰はホールドが小さく氷が付着していて登りにくいが、約八メートルの高さなので、気合を入れて登ってしまおう。直登ルートには残置支点がある。岩峰の右を巻くこともできるが、こちらには支点がない。その先は広く急な雪壁が続く。難しい所ではないが、ピッケルをしっかり打ち込んで確保をとり、憤重に登ること数ピッチでオキの耳を足下にできる。
 トマの耳の項上は大勢の登山者で賑っているだろう。下山は西黒尾根か天神尾根へ。ロープウェイを利用しても時間的にはさほど差はない。
 参考タイム=足の揃ったパーティーなら一日。初心者を含む場合、ワン・ビバークは覚悟したい。
 交通・宿泊=JR上越線土合駅が起点となる。谷川岳ロープウェイ土合口駅までは水上駅からバスが利用できる。土合山ノ家(TEL0278・72・5522)は谷川岳登山のよきベースハウス。一ノ倉沢出合(右岸台地上)には避難小屋がある。肩ノ小屋は冬季開放している。
岳人1991年3月号掲載

 
A・ウェゲナー

A・ウェゲナー

 南北アメリカ大陸が西に向かって移動し、そのために西の端に皺がより、ロッキーとアンデス山脈となった。インドが北上しユーラシア大陸にぶつかって大陸を押し上げヒマラヤができた。アフリカが北上してヨーロッパ大陸とぶつかりアルプスを造った。
 「大陸は移動する」、この考えを初めて世に送り出したのは、アルフレッド・ウェゲナーという人物である。彼は一八八〇年にべルリンで生まれた。大変な秀才でよく勉強し、グラーツ大学の教授にまでなり、気象学と天文学を教えていた。小さい頃から自然の中で探検をすることが好きな人物であったらしい。二十代前半のウェゲナーは南部アルプスの山々を登り、オルトラー山(三八九九メートル)登頂の記録もある。一九〇六年二十六歳の時には気球の滞空時間五二時間という当時としては破格の世界記録をつくっている。同年グリーンランドの探検に出発、二年間にわたる大探検を成功させ、当時の人々の注目を集め大変な人気だったようだ。
 一九一二年には二回目のグリーンランド探検に出かけていき、東海岸から西海岸まで一二〇〇キロの横断に成功している。ところがその後、一九一四年の第一次世界大戦によって探検活動は停止してしまう。将校として戦場に向かった彼は首をうたれ病床に伏し、暇にまかせて前々からあたためていた大陸移動説についての論文をまとめた本を出版する。
 一九一二年大学教授の安定した生活を捨て、三回目のグリーンランド探検に向かう。二か月の探検で、内陸氷河の調査研究の目安をつけ、翌年の五月に四回目の探検に出発する。探検も半ばにさしかかった十一月、彼は連絡のための内陸キャンプから二〇〇キロ離れた西部海岸のキャンプに向かって一人犬ぞりで出かけて行く。途中悪天候のため犬ぞりがきかなくなり、スキーにはきかえるが、冬のグリーンランドの暗闇と超低温とブリザードの中、彼の命は西部海岸キャンプまでわずか二〇キロの地点で燃え尽きた。ウェゲナーはいまもグリーンランドの氷河の下に眠っている。
 大山脈がどうして出来るか初めて解き明かしたウェゲナー、彼が現代にいたらきっと登山家になっていた・・・と、ふと思う。
岳人1991年1月号掲載

 
MINI GUIDE MINI GUIDE
埼玉

奥秩父
大洞川・井戸沢

「交通」池袋駅(西武池袋線特急1時間)西武秩父駅(タクシー1時間10分)荒沢橋手前
「地図」二万五千分ノ一地形図=雲取山、雁坂峠

@大洞川の本流を遡行する 
 井戸沢は大洞川の本流で、秩父の沢の中では困難な沢の一つである。はじめから終わりまで次から次へと滝、深い釜、ゴルジュなどが現れる。そのどれもが適度の困難さを持っていて、息をもつかせぬ面白さを味わわせてくれる。
 今回はタクシーを利用して入渓、遡行後に三之瀬に下るという最短のコースを紹介するが、マイカー利用の場合は荒沢谷を懸垂下降をまじえて下り荒沢橋に戻るとよい。

@アプローチ
 西武秩父駅から秩父鉄道、西武バスと乗り継いで、秩父湖下車。大洞林道を歩くこと四時間弱で荒沢橋に着く。西武秩父駅からタクシーを使って、荒沢橋のすぐ手前にある、車止めのゲートまでいってしまった方がいい。

@コース
 荒沢橋を渡り、大洞林道を辿って上流へ向かう。約三〇分で道は大きく右に曲がり込み、右手から松葉沢が入ってくる。松葉沢には橋がかかっているが、橋の手前三〇〇メートルくらいのところから踏跡を辿って本流に出る。松葉橋から直接下ると、処理のめんどうな堰堤が二つもあるので、下降ルートに注意しよう。
 本流に出るとすぐに幅広い小堰堤があり、これを越すと正面が惣小屋(そうごやさわ)沢である。左から入ってくるようにみえるのが本流で、いよいよ井戸沢のはじまりだ。
 沢はすぐにゴルジュとなり、深い釜をへつる。小さな釜、ナメ滝、小滝、また釜、倒木と、どんどん新しい課題が出てくるが、ルートをしっかり読めば楽に通過できる。そんなこんなを二時間ほど楽しんでいると、ゴルジュを割って八メートルの滝が落ちている。昔は奥秩父で最も手ごわいといわれた、キンチヂミの悪場のはじまりだ。
 まずは踏跡を辿って左から高巻くと滝の上に出てしまう。次に続く釜を腰まで水につかりながらへつっていけば難なく通過できる。キンチヂミなんていう生理現象は、どうにも起こりそうもないところだ。
 沢は再びそんなこんなの小滝、釜、ゴルジュの連続となり、これでもか、これでもかと楽しませてくれる。ゴルジュが切れて一息ついたところで、左から椹(さわら)谷が入ってくる。椹谷と本流は水量比が同じなので、間違えないように。
 本流の方は、このあとしばらくゴーロが続く。そのあとまた例のそんなこんながはじまるが、滝や釜の規模が大きくなり、冒険心をさらに満足させてくれる。五メートルを超えるような滝には、先人が高巻いた跡や、直登したときのピトンがしっかり残っており、ルートファインディングにはあまり困らない。
 二条五メートルの滝を右から高巻き、六メートルの滝とその先の釜をまとめて左から高巻いて、ちょっとしたナメを越すと一息つけるところに出る。ビバーク適地はたくさんあるが、一応この辺りで一泊ということにしよう。
 二日目、次第に開けてきた沢床を、ナメや小滝を越えつつ軽快に遡る。右から奥新左衛門窪が入るのを確認。小さなゴルジュ、小滝、ナメ、小滝、ナメ、小滝と越えると、いよいよ沢は明るく開けてくる。
 もう終わりかと思ったときに、ワンパンチ。小さなゴルジュに入ったかと思ったら、奥の方からゴーゴーと音が聞こえてくる。この沢最大の一五メートルの大滝だ。その大滝の左側に岩峰があり左から高巻けば滝の上に出る。直登する人も多く、その分だけ巻き道の踏跡は不明瞭である。
 大滝を越えると沢の源頭部だ。笹ヤブが両岸からせまってくるころ、沢の左、右に踏跡がみつかる。これを適当に辿ると、和名倉山に続く尾根上に出る。
 下山は尾根上を左へと奥秩父主脈縦走路へ向かい、将監(しょうげん)峠を経由して三之瀬へ下るのが早い。三之瀬からタクシーで塩山に出ることになる。また飛竜山を越えて丹波へ下ればバスの便がある。

「参考タイム」荒沢橋(30分)本流への下降点(10分)惣小屋沢出合(4時間)椹谷出合(3時間)奥新左衛門窪出合(3時間)将監峠(2時間)三之瀬
「問い合わせ」大滝村役場観光課 0494・55・0101
岳人1989年8月号掲載

 
ヒマラヤの化石

ヒマラヤの化石

 ネパールにトレッキングにいった先輩からお土産をもらった。ゴルフボール大の黒い小石で、二つに割ってあり中にアンモナイトの化石が入っていた。現地の人は日本人と見るとアンモナイトの化石を売りにくるそうで、値段は約千円、ネパールの人の商魂もなかなか・・・。
 おっとそれより、一億年も前の中生代、恐竜が地上をかっ歩していた時代に、珊瑚礁の海に住んでいたアンモナイトが、どうしてヒマラヤ山脈の真っ只中のネパールで化石になってしまったのだろうか。
 私たちの住んでいる地球は、その昔、星屑を集めて膨れ上がってできた頃に蓄えた熱がまだいっぱい残っているので、表面だけは冷えているが、全体にならしてみたら何と数千度もある火の球のような星だ。
 その火の球の表面に近いほうは冷えて縮んで重くなり下に沈もうとし、その下の中心に近い部分は反対に上の部分より膨らんでいる分だけ軽いので、浮かび上がろうとする。つまり、地球の内部ではその持っている熱によって内側と外側が入れ代わろうとする、いわゆる「対流」が起きる。
 二〇億年ほど前のインドは、今のオーストラリアのように海の上に浮かぶ大陸だった。この大陸が前記の「対流」に乗って北に移動し、ついには海を持ち上げ山を造りつつユーラシア大陸に衝突した。いや、現在もしつつある。海に堆積していたアンモナイトの殻は、これによって数千メートルの高さにまで持ち上げられてしまったのである。
 先輩にもらった石は、叩くとかちかちという音を出す。二億三千万年前から六千五百万年前まで続いた中生代の石の音だ。わが国の秩父には、さらに前の古生代の岩石がある。叩くとかんかんという金属的な音がする。岩登りのゲレンデとして有名な鷹取山の岩は、叩くとボスボスとにぶい音を出す。多分新生代に海底で積もった砂が石になったものだろう。
 どこにでも転がっているような石ころ一つ、そのどれをとっても何万年、何億年というその石の歩んだ歴史を語っても、いなくても、なんとなく、太古のロマンなるものを感じられたら、と思う。
岳人1989年3月号掲載

 
谷川岳天神尾根で学ぶ
深雪格闘術

深雪に慣れ、雪質を知る
 十二月終わり頃から一月、二月にかけて、北西の季節風にさらされる山々 はひっきりなしに風雪に襲われる。一晩で1mの積雪は当たりまえ、しかも 日照時間が夏に比べて四~五時間も短いので、山に登るどころか下山の機会 を見つけるのが精いっぱいになる山行も少なくない。
 ここでは、そんな深雪の山に入ってみよう。腰までのラッセルにトップは 汗まみれ、二番手もまだ雪かふかふかで苦しいのだが、三番目から後は楽に なる。ドン亀のように進むトップを見ながら踏み固められたトレールを鼻唄 まじりに、歩みつ止まりつ進んで行く。
 トツプは苦しい。数mも進まないうちに「交代」と叫んで、深雪の中にへ たり込む。頭の上まで雪に囲まれて、真綿のようにふかふかでひんやりとし た雪が汗ばんだ顔に心地よい。しばらくトップに立たずに済む、何ともいえ ない解放感を味わう時だ。ようやく雪が浅くなって来ると、風が強くなる。 森林限界まで高度を上げたのだ。振り返ると一条のトレールが、はるか下の 方からつながっている。じんわりと満足感が込み上げて来る時だ。
 山々が深い雪にすっぽり埋もれて真っ白になる時、その汚れない美しい山 稜に入って行くのは大変魅力的 なことだ。しかし、その魅力を知るには、ある程度雪のない山を歩いた経験 と、基本的な雪山技術が必要になる。ここでは深雪対策を中心に、ラッセル 術、読図術などを記してみたい。具体的に、雪山入門として絶好の場である 谷川岳天神尾根の登山を紹介しながら、”深雪格闘術”について説明しよう。

天神尾根でラッセル技術習得
 天神尾根へはJR上越線水上駅からの路線バス、土合駅からの徒歩、マイ カーなどアプローチは様ざまであるが、とにかく文明の利器である谷川岳ロ ープーウエーを利用して一気に標高1320mの天神平まで登ってしまおう。 さらにスキー場の一番右のリフトに乗ってすぐに天神尾根に出ることもでき るが、ここではリフトを横目に、右にトラバース気味に進んで田尻尾根に 上がり、そのまま高い方へ高い方へと進んで、天神尾根に出る。
 先行パーティーがなければ初めからラッセルになる。新雪をかき分けて歩 くためには、一にも二にも体力が必要。体力が乏しい場合は人数が必要で、 トップを交代しながら頑張るしか方法がない。ラッセルのルー卜選定は、な るべく遠い所へ目標地点を決め、一直線に進むこと、雪崩を引き起こさない ために斜面をなるべくトラバースしないこと、極力もぐらぬ所や、登降の少 ない所を通ることなどがあげられる。
 足を普通に前に出せないほど雪が深ければ、膝で雪を押しつけ前方を切り 開く。次に周りの雪を崩して、踏み固める。腰までもぐる時は、ピッケルや ストックを両手に水平に持って、前方の雪に体を横たえるように沈め、それ を手掛かりに上体と膝を使って雪を固めてから、前足を動かす。
 輪かんをはいている場合は花魁道中のように、足を外回しにしながら一直 線上を歩くつもりで前に踏み出して行く。輪かんはやや締まった雪には効果 は絶大だが、スキーと違って、ふかふかの深雪では、ないよりはましといっ た揚合もある。また勾配が急になって来ると、輪かんに阻まれて斜面に足を 蹴り込めず、かえって邪魔になることもある。こんな時はこまめに着脱して、 雪と斜面が輪かんに適しているか試しながら前進しよう。また岩稜と雪稜が 交互に現れる時は、アイゼンと輪かんを併用する方法もある。
 朝8時50分始発のロープウエーに乗ると、天神尾根に出る頃は昼過ぎに なるので、谷川岳のピークハントは明日ということになる。今夜の雪中キャ ンプの準備をしよう。場所は田尻から天神尾根に出た付近、あるいは足をの ばして熊穴沢ノ頭付近がよい。

幕営技術と雪洞構築法
 本山行では、テント泊か雪洞泊かは各人の好みによる。まずテント泊の場 合、できるだけ平坦で風も弱くしかも雪が吹き溜まりになりにくい台地状の 場所を探してテント場としよう。パーティー全員で雪を踏み固め、整地する。
 最近の自立式のテントは、フレームをつなげてスリーブに通すだけですぐ に立ち上がる。この時、フレームの継ぎ目に雪を入れないように注意しよ う。それでも撒収時にはこのつなぎ目が凍りつくことが多い。はずすのに、 手でこすったり、はたまた舌でなめたり(気温が低いと舌が張りつく危険が ある)で、厄介なものだ。
 入り口を風下側に向け、テントの基部の四隅を固定したら、次に張り綱を 張る。ふかふかの雪ではぺグは効かないし、ピッケルもあてにならないので、 40cmほどの小枝に細引を結んで雪中深く埋め、これを張り綱の支点とす るのがよい。もちろん近くに立木があればそれを利用するにこしたことはな い。
 余裕があれば、風上側にブロックを積むとテントが風にあおられなくてよ い。テントの中に銀マットを敷いて設営完了。水は近くの雪をビニール袋に 入れて使えばよいし、食器洗いはトイレットペーパーで拭うだけ。ハイテク 技術から生まれたエアマットを使えば昔は辛かった就寝時の背中からの寒さ もなく、雪中のテントライフは何とも楽しい。
 辛いのはトイレだ。特に降雪中にテントの外に出るのは勇気が要る。トイ レの帰りには、テントを一周して張り綱を点検。風下側などに雪が吹き溜ま ってテントを圧迫しているようだったら、この時に除雪してしまう。ドカ雪 の夜は、トイレの回数以上にこまめな除雪が必要になる。  次に雪洞泊の場合だが、極めて質のよいテントのある今の時代に、特別な 場合を除き、雪洞をテント代わりにするのはナンセンスだ。そうではなくて、 雪洞ライフそのものを楽しむという目的で山行を計画したい。雪に親しむこ とによって、何よりも雪質を知る利点も生まれる。
 雪洞には縦穴式と横穴式がある。また、イグルー併用式もある。
 縦穴式 を掘るのは簡単で、人が入れる穴を掘ったらシートをかぶせて出来上がり。 フォーストビバーク用に利用されている。フォーストビバークというと、着 のみ着のままで風雪の中をツェルトをかぶって一夜を明かすといったイメー ジだが、縦穴式雪洞はそれに比べたら数段も快適である。弱点は降雪がある と埋められる恐れがある点だ。
 今回は、本格的な横穴式の雪洞を造ってみよう。尾根の側面の風下側の斜 面に場所を見つける。斜面の傾きは30度前後ぐらいが適当で、掘りやすい からといって急な斜面を選ぶと、夜中に外に出た時、誤って転げ落ちたり、 雪崩が出る恐れがある。雪洞の適地は森林帯でない限り、そのまま雪崩発生 の適地であると知っておくべきだ。テントなら、夏山用の折り畳み式スコッ プでも用は足りるが、計画的に雪洞を掘る場合は大型角スコップやスノー ソーを何本か持って行こう。  場所が決まったら、入り口の部分を約1m掘り下げてから右と左から二つ の横穴を掘り進め、L字型と「字型に掘って中で連結し、中が完成してから 一方の穴をブロックで塞ぐのが最も作業効率のよい方法だ。しかし、特にこ の方法にこだわらなくても、とにかく横穴を掘って中を広げていけばよい。
 ある程度深く掘れてくると中の湿気と高い温度による発汗から、作業中に 体が濡れて来るほどだ。オーロンやクロロファイバーなどの化学繊維ででき た、濡れに強い衣類を下に、ゴアテックスのヤッケとオーバー手袋を上に着 用するだけの薄着で、掘り進めて行くのも一案だ。雪はブロック状に切り出 すと外に運び出しやすい。
 まず横方向にスコップで水平に切れ目を入れる。次に縦方向は面に対して 斜め四五度に切れ目を入れ、次は反対方向斜め四五度に切れ目を入れる。< 型に切れ目を交わらせてスコップでこじるようにえぐると、ブロックになっ て取れる。これがコツである。
 雪洞の中の湿度は高い。春先では、いくら天井を滑らかにけずって、落ち てくる水滴を防いでも、体は湿気で濡れてくる。一晩寝ると、体もシュラフ もビショビショになってしまう。この問題を解決するのは昔は我慢するしか 方法はなかったが、ゴアテックスなどの透湿素材のシュラフカバーを使用す ることで現在は確実にしのげるようになった。ともあれ、白い静かな雪穴の 一夜は、心ときめく体験になることだけは確かだ。

谷川岳山頂で読図術を学ぶ
 明ければ、いよいよ谷川岳の登頂目指して出発だ。天気がよければ特に危 険な所はない。天神尾根上を北西に小ピークを一つ二つ乗り越して進む。尾 根が終わると急傾斜の広い斜面になるので、ここをもうひとふんばりまっす ぐ登り切ると、肩の広場の大きな道標に着く。晴れていても、ここで登って 来た方向とこれから向かう山頂(トマの耳)の方向を確認しておこう。ガス がかかると方向を見失いやすい所だ。
 さて、ここでは降雪を想定してルートファインディング術を記してみよう。 天神尾根の途中から視界はなく、ガスの中を進んでいる。こうなったら尾根から はずれないように注意しながら、高い所高い所へと向かって進むしかない。 高度を上げると次第に風が強くなってきて、吹雪となった。そして濃霧が辺 り一面を包み、数m先が見えなくなる。これをホワイトアウトと呼ぶ。
 こんな時、頼りになるのはヤッケのフード。これだけは大きくしっかりし た作りで、ひもを引けば目の部分だけを残して顔全体を覆ってしまうものが ほしい。目はゴーグルまたはサングラスで覆うが、曇ってもすぐ手でぬぐえ るサングラス(色は薄い方がよい)の方が使いやすい。
 雨具でヤッケの代用をする場合は、フードの口元に風よけが ないので目出帽子が必要である。凍傷を防ぐため、激しい風雪の中では顔の 一部分でも皮膚を露出させないようにしておきたい。ヤッケ、オーバーズボ ン、オーバー手袋に身を固めて体から熱が出ていかなくなれば、激しい風雪 の中でもゆとりを持って行動できる。
 さて、とにかく高い所を目指して行けば、いずれ頂上に着いてしまう。 山頂直下の指導標と大ケルンが肩ノ小屋などの方向を示しているので役立つ にしても、難しいのは下山だ。登るのと異なり、斜面が放射状に広がってい るし、頂上付近の風は強いので登ってきたトレールなどすぐに消えてしまう。 こんな時は往きに、しの竹に赤布をつけた標識を50mおきぐらいに雪に差 しながら登って行き、帰りはそれを目印に戻って来るのが定石である。
 ところが谷川岳のように人気の高い山では、それだけ地形を熟知している 登山者が多く、標識など設けずに登るのが普通になっている。
 今回は、標識のないホワイトアウトの吹雪の中を下山する方法を述べてみ よう。この揚合、先ず地図を見て現在地を確認し地図上の地形を読んで、進 むべき方向を決める力が必要になる。もし現在地が分からなければ、分かる 所まで戻る。頂上は最も確実に分かる現在地だ。ルートが分からなくて二度 谷川岳の山頂に戻った経験を筆者も持っている。  確実に現在地の確認ができたら、そこから下るべき方向に向かって、メン バーは一直線に並ぶ。後ろからその直線の方向が磁石の示す方向と 一致し ているのをチェックしながら、下って行く。進行方向右側はヒツゴー沢、左 側は西黒沢になる。天神尾根をとらえて自分たちのトレールに出合ったら一 安心、後はもと来た道をグングン高度を下げて行けば熊穴沢ノ頭だ。避難小 屋を過ぎ、やせた尾根を進めば、やがて天神平スキー場の騒音が聞こえて来 るだろう。
 降り積もった雪は、その時その場所によって様ざまにその性質を変化させ る。今回、谷川岳で出合い、たわむれた雪は、その一部である。しかし、格 闘にも似た深雪の中での行動は、私たちの脳裏に”雪質”をしみ込ませてく れる。このことは雪への理解をすすめ、安全に雪山へ入って行ける”勘と能 力を向上させる”ことにつながっている。

(参考コースタイム)JR上越線土合駅(徒歩20分)谷川岳ロープウエー 土合口駅(10分)天神平駅(2時間)天神尾根(4時間)谷川岳山頂(2時 間)天神平
岳人1989年12月号掲載

 
寒い理由

 100m高度を上げると気温は0.6度C下がるといわれる。山の上はな ぜ寒いのだろう。大変素朴な疑問だがその理由を深く考えた人は少ないので はないかと思う。
 小学校や中学校の理科の教科書に天気の説明は載っているが、先の疑問に 答える説明はみあたらない。
 地球の引力は空気を地表に引きつけている。机の上に重ねられた荷物のよ うな状態を思いうかべてみてほしい。机は地表で荷物は空気ということにな る。下の方に積まれた荷物は上からの重みがかかり、ぎゆっと押し潰され、 上の方にいくほどその力は小さくなっていく。つまり、高いところにある空 気は上から押し潰されないから、密度が小さくなるということだ。
 私たちは、寒くなれば服を着る。身体の熱で暖まった空気を服に閉じ込め て、逃がさないようにするためだ。服を着るということは、空気を着るとい うことにほかならない。
 さて、太陽は高い山の上にも低い町中も、同じように光をなげかけ暖めて くれる。むしろ高いところの方が太陽に近い分だけその暖められ方は大きい はずだ。ところが、実際には高度が上がれば気温は低下する。高いところは 空気の密度が小さい。空気という服の薄着をしていることになる。だからい くら暖めても、それを保温する空気がないために、すぐに寒くなるというわ けだ。
 山の上の寒さを考えるとき、知っておかなければならないのは風の影響で ある。風速が1mますごとに、体感温度が1度C下がるといわれている。こ れはかなり正しい数値であるが、気温が低いときは体感温度の下がり方を大 きめにみておきたい。体調によっても異なるが、マイナス10度Cのときに 風速10mだと体感温度はマイナス20度Cになり、露出した皮膚は凍結し てしまう。しかし、マイナス30度Cでも風速が1m以下なら、寒いと感じ る程度で終わってしまう。
 いくら風が強くても、気温が5度C以上あればまず凍傷にかかる心配はし なくてもよい。しかし、これは衣服が乾いているという条件下であり、気温 がかなり高くても、衣服がぬれていればただではすまない。夏山でも風雨の 中を強引に歩けば、疲労凍死の危険性も大きいということだ。
岳人1989年1月号掲載

<2002年4月の補足 松浦寿治>
 太陽の熱は光(赤外線に代表される)が運んで来る。真空の宇宙で、光は 何にもぶつからず熱を持ったまま地球に到着する。地球の空気も赤い光や赤 外線を妨げることなく透過させるので、それは地表面で初めて反射されここ で太陽の熱が伝わることになる。つまり太陽が地球を最初に暖めるのは空気 でなくて、地表である。暖まった地表の熱が下から空気を暖め、暖まった空 気は対流によって上空に熱を伝える。だから先に暖まる地表に近い低い所の 方が暖かく、後から暖まりしかも宇宙に熱が逃げて行く高山の方が寒いとい うことになる。それに加えて高山の薄い空気はせっかく暖めても保温出来な いことが重なってますます寒くなる。
 話しが変わって申し訳ないが、光が真空中に熱つまりエネルギーを失わな いというのは、ふしぎなことに思う。600光年離れた北極星を見る時、そ の光は600年前のものだ。つまり600年もの長い間エネルギーを失わな かったことになる。くりかえしになるが、宇宙の果ての40億光年離れた星 から来る電波は40億年前に発せられた光で、40億年もの長い間減衰して いない。
 アインシュタインの特殊相対性理論の結論の中に光の速さで走る物体の中の時間は止まってしまうというのがある。北極星からの光は私達の目のレン ズに捕らえられ速度を変える(向きを変える)まで時間が止まっていて、そ れゆえエネルギーが減衰しなかったと考えられないだろうか。2002.4.21

 
山の相対性理論

 アインシュタインといえば相対性理論を唱えた人として、一応名前ぐらいなら知っているという人も多い。計算を簡単にするために分かりやすい条件だけに絞って考えられた特殊相対性理論からは、非常に速い物体の中においては時間がゆっくりと経過すること、質量(重さ)は熱量などのエネルギーに置き換えることができるという結論が導きだされた。原子力によってその
結論の正しさが証明されたのは、わずかに半世紀前のことだ。
 いろいろな条件を合わせ、考えることのできる一般相対性理論の一部に面白い計算結果がある。それは、太陽や地球のように大きな重力のあるところでは、時間の流れや空間が曲げられてしまうというものだ。
 SF小説などでは、時間を自由にあやつれるタイムマシンとか、空間を折り曲げてしまうスペースワープとかに利用されているが、これらの実現はどうも不可能のようだ。それでも、日食により太陽光のない状態で太陽のまわりが観測できるとき、太陽の周囲の空間のまがりが実測されている。
 さて、重力の強さによって時間の流れに変化が起きるのであるから、山の中、つまり重力のやや小さいところで生活をすることの多い山ヤ諸兄姉は、町中で生活する人たちとは異なった時の流れの中に身を置いていることになる。
 筆者の計算(東京理科大在学当時の計算)によれば、海抜高度が一千メートル増加するごとに、時間の流れる割合が2.2×10のマイナス13乗の割合で減少する。十四万四千年たつと一秒遅れるということだ。たとえば富士山の山項に三万八千年留まれば、わずか一秒だけの浦島太郎になれるというわけだ。
 数値こそ小さいが、山に行くということは、タイムマシンに乗って未来に行くことになるのである。一年に数回山に行く人は別として、一ヵ月に数回も山に行く人はまわりの人たちからの風あたりもさぞ強いことだろう。しかし、山に行くことでその人たちより若返り、より苦しい労働に耐えて恩返ししているのだと思えば爽快な気持ちでいられよう。
岳人1988年11月号掲載

 
制動確保考

制動確保考

 山道を歩いていると、慣れた人でもたまには転ぶものだ。多くの場合は手をつき身体をひねって尻絣をつく。子供の頃からなんどもなんども転びながら、身につけた反射的な動作だ。人の身体の中で尻というところは、外からの打撲によるショックをよく吸収してくれるところだからだ。
 ところで岩登りの際に、トップの墜落に対して制動確保が有効であると、もう何年も前からいわれている。墜落が止まるときに身体にかかる衝撃を、ザイルの伸びやプロテクションの変化で吸収するだけでなく、確保者が意識的にザイルを滑らせて摩擦熱を発生させるのである。墜落によって発生する運動エネルギーを熱エネルギーに変化させてしまおうというものである。
 たとえば60Kgの人が10m墜落した場合のエネルギーは熱量に換算すると約1.4キロカロリーである。これは炭素約0.17グラムの燃焼熱、わずかにマッチの軸二本強が燃えたときに出る熱量でしかない。たとえわずかでもザイルを流して発熱させることは、充分すぎるくらい意味のあることだ。ただし、トップが岩角やテラスにあたる可能性のない場合だが。
 しかし、実際の場、トップの墜落という衝撃的なできごとに対しては、反射的にザイルを握りしめてしまうものだ。余程のエキスパートでもなければ制動をかけるなどというゆとりはない。それでいてけっこう止まってしまうし、クライマーの身体もそれほど傷つかない。「どんどん落ちろ」などという先輩までいる。
 ひと昔前に比べて落ちることがそれほど恐れられなくなった。それは、最近のシットハーネスなどの安全べルトの効用によるといっても過言ではないだろう。
 落ちてみればわかることだが、さほど痛くない。墜落のショックをお尻の部分で柔らかく吸収してしまうからだ。セカンドで確保する者もこのことをぜひ利用してほしい。立木やピトンなどにエイト環を直接セットし、リーダーの墜落に備えているフォロワーをときどきみかけるが、エイト環は身体に装着している安全べルトにセットした方がべ夕ーだ。身体はショックを吸収するショックアブソーバーの役をはたしてくれるからだ。
 <2002年2月の注>本番のクライミングルートでは、確保器を身体に装着するいわゆるボデービレーと、しっかりした支点(効いてるハーケン3本以上を連結したもの、腕くらいの太さの立ち木)を利用する支点確保は時と場合によって使いわけられるべきものである。
 ボデービレーであると、トップの墜落から確保者の脱出までに、ザイルのテンションを別の支点に逃がすための時間がよけいにかかるし、墜落の衝撃でビレーヤーが怪我をする可能性は支点確保よりも大きい。しかし、確保支点がしっかりしていない場合やセカンドがトップを確保する場合はボデービレーの方に分があることも多い。
<2003年7月の注>確保器が様々に改良されている。ATC、バリアブルコントローラなどを使う人が多くなった。現在、僕はセカンドによるトップの確保はATCによるボデービレー。トップによるセカンドの確保はATCの支点折り返しボデービレーを使っている。また、トップによるセカンドの確保で支点折りしをしない場合もあるし、支点確保(エイト環グリップビレー)を使う時も多い。
 取り落とす可能性が少なく、凍っても、ドロドロになってもセットのしやすいエイト環によるビレーは有効だ。沢登りはエイト環、本番クライミングはエイト環とATCを併用している。
 ルベルソーなどに代表される自動的にザイルをロックする道具はロックの解除に手間取ると危険である。例えば沢登りで水流の中にいてロックされたら溺れてしまう。ちょっと緩めれば安全なテラスに戻れたりルートを変えたり出来るのにそれが出来にくいことになる。「自動的にロックする器具を沢登りや本番ルートに持ち込むことには慎重であってほしいと提唱したい。
岳人1988年9月号掲載

 
アクシデント

アクシデント

 事故のことである。  最近、先輩が沢登りで転倒し、足首を骨折した。正月には知人が雪崩で遭 難している。昨秋は後輩が頭に落石を受け、行動不能になった。これは聞い た話だが、雪山で滑落した人が、滑った拍子にピッケルのピックをノドに刺 してしまったという。昨今ブームの中高年の登山で、ご近所の奥さんがハイ キングに出かけた。ちょっとした泥道で滑って、思わず手をついたら、体重を 支えきれず手首の骨にヒビが入ってしまった、などなど。  山でのアクシデントは案外多い。現場には電話などないから、救急車を呼 ぶことなどできない。多くの事故も指摘されることだが、すみやかに救急活 動が行われていれば、さらに大事に至らない可能性が強い。われわれ登山者 は人里離れた山に、それと承知で出かけてゆくわけだから、アクシデントに 際しては自分たちで、できる限りの応急処置を講じなくてはなるまい。  たとえば骨折。骨折個所の固定を行うと同時に、その他外傷の手当ては当 然のこととして、怪我によるショックの防止を配慮しなくてはならない。怪 我をすると人間の身体は、自動的に血流を少なくして体の内部に血液を集中 して保身をはかる。これをショックというが、これが過ぎると生命にかかわ る。ショックを和らげるには、ありあわせの衣類での保温や温かい飲料など が必要になる。  軽い捻挫や腹痛程度ならともかく、激しい出血や呼吸停止など、思いがけ ないアクシデントに対しては、日頃の救助訓練はもちろん救急法のマスター が必要となってくる。  日本赤十字社では、救急法講習会を行っている。約二週間集中講義を受け るのであるが、かなりの実力がつき、免状ももらえるので、是非受講される ことをお勧めする。パーティーに一人でもそんな人がいるとメンバーは安心 だ。そこまではと思う人でもザックに小さな救急法の本を入れておきたい。 いざというとき強い味方になってくれる。
岳人1985年12月号掲載

 
ザックとパッキング

ザックとパッキング

  「峠はるかに 重荷にあえぎ・・・・」なんて歌えばロマンチックだが、実 際はそんなきれいごとではすまない。「景色なんぞは夢のうち」という歌も あって、こちらの方がずっと実情に即している。同じ重量なら、バランスの 取れた上手なパッキングの方が断然有利だ。  かつてザックの主流はキスリング型といって、丈夫な帆布を素材にしたも のだった。ザックの型紙には人間工学的な配慮のなされていない、単なる封 筒型の袋で、しかも横長の上、六〇センチとか、七二センチとか、その大きさ を競ったものだ。特大のキスリングなど、片側のサイドポケットに、石油コ ンロの大が二個入る大きさがあった。だから上手にパッキングすることはな かなかのテクニックで、「パッキング三年」という言葉も生まれたほどだ。 最近のザックではパッキングに神経を使うことはほとんどなくなっているが、 キスリング型では格好、バランスともによく、背中にゴツゴツしたものが当 たらないようにパッキングするには、かなり神経を使ったものだ。  当時のパッキングは、こんな風だった。まず、ザックのポケットからスタ ート。取り出す回数の多いものや、小さくて角ばっているものを入れる。そ の際、一番底に靴下とかタオルのような柔らかいものを敷いておくとザック が岩角などに当たっても破れにくくなるし、中身が壊れることも、防ぐこと ができる。  ザック本体の一番下にはシュラフを入れる。シュラフをザックの横幅より やや大き目の長さに硬く巻いて、きっちり詰め込む。これがしっかりしてい るとザックの形が整い、パッキングが崩れにくくなるのだ。新聞紙などを背 側に配して、固い物が背中に当たらないようにし、軽い物から順に前後にふ くらませず、左右に押しひろげるように詰めていく。  そんな努力も今は昔。人間工学的に配慮された型紙をべースに縫製された ザックは、「パッキング三日」の人ですらそれなりのパッキングができる。 細長でスマー卜すぎるのが気になるのは、オジさんの感傷であろう。
岳人1985年10月号掲載

 
山の小物入れ

山の小物入れ

 山へ行くのはいいのだが、その前のパッキングや、帰ってきてからの後片 付けはドーモ、という人は割と多いようだ。  山への思いをはせて用具を揃えたり、自分なりの工夫改良を加えながら手 入れをし片付けていくことも山の楽しみの一つには違いないのだが、それに しても出発の日近くに予定外の残業が続いたりするとそうもいっていられな い。新しく購入した物とか、大きい装備はまず忘れないのだが、地図・磁石 ・チリ紙・武器(ハシやスプーンのこと)・ローソク・マッチ・メタ・薬 ・非常食・細引・筆記用具・ナイフ・蚊とり線香・天気図用紙・針金・電池 のスベアなどの細々とした必需品はバラバラにしておくとまず一つ二つは忘 れてしまうし、肝心な時にどこにあるかわからなくなる。非常に不便な場合 が多い。  こういった小物類は一つにまとめてパッキングしやすい形の箱や袋に入れ ておくのである。女性の場合はハンドバッグを持つ習慣があるからに説明し なくともそのような物を山に待って来るが、ややズサンな性格を持つ山男諸 兄はこのような小物入れを作っておくと大変重宝である。  この小物入れのことを私物カン(個装カン・私物袋)と呼んでいる人が多 いようだ。昔、〇〇〇屋のクッキーの缶がちょうどキスリングのタッシェの 大きさに合っていてこれを使う人が多かったので私物カンというようになっ たらしいが、別に缶でなくてもよく、プラスチックの弁当箱やゴム引きの化 粧バッグ、ハンゴウなどを利用する人もいる。そして山行中はこれを常に自 分自身の近くに置くようにしておく。非常時でもこれだけ持っていればとい った物が多く入っているからである。また私物カンはカン自体が枕の代用品、 天気図を書く時の下敷き、まな板、ローソク立て、灰皿、コンロの下敷き等 の使い道もある。  なお、その中身は常に点検すべきで、マッチやライターが防水も考えずに 詰め込まれていては困りものである。
岳人1985年8月号掲載

 
ミニガイド 東京 江戸川下り

ミニガイド
東京 江戸川下り
松浦寿冶1985.3

(交通)JR武蔵野線南流山駅
(地図)一般的な道路地図で充分

@江戸川は自然がいっぱい
 山は人間にとっては厳しい環境の所だが、じつは他の生物達にとっても同じ様に厳しいものなのだ。反対に人里近くは人間ばかりでなく他の生物達も生活しやすい。もし人がそれ等生物の生活をあまり脅かさないでいたとすれば、山より人里の方が数段豊かな生物の営みを見ることができる。野草に野鳥(川に沿って飛ぶ、渡り鳥の旅立ちに出会えたりすと圧巻である)、昆虫採集、釣、カヌー、ゴルフ、草野球、そして犬の散歩、そんな自然と人のからみあいを見ながらのんびりハイキングするのは楽しい。ほとんど上り下りす る所はないのでお年寄りからよちよ ち歩きの子供まで参加できる。

@アプローチ
 スタート地点を武蔵野線の南流山駅からということにしよう。駅を出て北に数百mで草加-流山街道に出会い左に向かう、付近には三星ウォ ールというアットホームな雰囲気の人工岩場がある。小さくてもファイ ブサーティンなるルートがあったり で、運がよければ日本のトップクラ スのフリークライミングの技を見学 出来るかもしれない。草加-流山街道を西に二〇分ほど行くと流山橋、 橋の歩道を対岸に埼玉県側に渡りきったところで道路を離れ江戸川右岸の土手に登る。

@コース
 土手の上を下流に向かって歩き出す。滔々と流れる川を見ながらのんびり歩いて行けば良い。広い緩やかな下り道で歩きやすいが、単調さに飽きるかも知れない。ボールを持って行くとかスケッチブックかかえて行くとか、土手のあたりでどう過ごすか、一緒に歩くメンバー構成を考 え、ある程度準備しておくと良いだろう。もちろん、途中で弁当を食べるだけでも充分ではある。流山橋から南下し五キロで北葛飾橋さらに二 キロほど行くと土手の上が舗装されサイクリング道路となる。舗装された所からはもう東京都、千葉、埼玉、 東京と三県を歩いたことになる。
 葛飾橋の下をくぐると、もう一本のサイクリング道路が右手から合流してくる。このサイクリング道路を行けば水元公園に至る。さらに南下、新葛飾橋をくぐり北総鉄道の鉄橋手前左に矢切の渡し、右は柴又帝釈天。 さらに南下を続け、五キロで江戸川 放水路に出会い旧江戸川を右に分け放水路左岸を5キロ行けば東京湾まで歩くことになる。  ここでは柴又帝釈天を終了点といことにしよう。帝釈天の参道を西に五百m行ったところに京成線の柴又駅がある。歩きだけでは物足りな いクライマー諸氏は京成線の青戸駅 下車で葛飾区総合スポーツセンター の岩登り練習場まで足を伸ばすのも良いだろう。駅から葛飾区の送迎バスが出ている。温泉大好き派の人は、 葛飾区や江戸川区内にはまだたくさん銭湯があるから、そこで汗を流すという手もある。タクシー拾ってな じみの銭湯に案内してもらおう。
 水元公園内にキャンプ場があった りで、街のなかで山が出来るのがこのコースの特徴である。
(参考タイム)南流山駅(30分)流 山橋(2時間)葛飾橋(40分)柴又帝釈天(20分)柴又駅
(問い合わせ)三星ウォール 04 71・58・0469 葛飾区総合ス ポーツセンター 03・3691・ 71111


 
焚き火の科学的考察

焚火の化学的考察

山に入っても焚火のできる所は少なくなった。それでも許された所であれば焚火をしたい。木の燃える香り、暖かさ、ゆらめく炎とその明かり、そしておしゃべり、夕食、酒盛り、それはこの上もない山での楽しみの一つではないだろうか。
 まず薪集め。市販の薪を使うことを前提としている所でないなら、これはなかなか大変な作業だ。沢筋なら流木を、林の中であれば間伐により切り落とされた枝を集めてきたり人手のあまり入らない林なら倒木を引いてきたり、生きた立ち木でも光取り競争に敗けて枯れてしまった枝が何本も出ているはずだから、これを採って来ればよい。
 さて風上に火口を決めたら、新聞紙を丸めて下に置き(メタを焚き付けに使うと新聞紙はいらない)、その上に割りばし大の木切れを並べて火をつける。火がついたら徐々に薪を太くしてゆき、安定した火力を保つようにする。雨にぬれて薪が湿っているような時は、ナタ目をたくさん入れておくと良い。少しでも空気との接触面積を広くするための工夫である。
 ところで原料の薪、つまり植物の体は約10の元素C、H、O、N、Mg、Ca、K、S、P、Fe、(チョンマゲカクスプフェと覚えるのだ)から出来ている。植物はふつうこれらを太陽の光を利用してまとめあげ、合成して体を作り上げる。光合成をはじめとする植物のさまざまな同化作用である。こうしてできた植物の体に熱を加えると、原子の動きが激しくなり、ついには熱分解する。またその激しい動きで原子は空気中の酸素と接するチャンスが多くなり酸化という反応が起きる。
 その時に、同化作用により貯えられていた太陽のエネルギーを、反応熱として光とともに放出していく。そのうち炭素・水素・窒素・硫黄・リンは酸化物が気体であるため空気中に四散し、残りのマグネシウム、カリウムなどは酸化物が固体であるためにその場に残る。これが灰である。灰は水に溶けると弱いアルカリ性を示す。酸性土の多いわが国では、アルカリ性の灰は土壌を改良し、植物の成育を助けたりもするのである。
岳人1985年1月号掲載

 
北沢峠から甲斐駒ヶ岳

北沢峠から甲斐駒ヶ岳 松浦寿冶 2000.10

 中央線小淵沢のあたりに来ると胸踊る風景に 出会う。八ヶ岳南アルプスの峰々、中でも一際 目立つ急峻な甲斐駒ヶ岳。それは多くの登山者 を魅了して止まない。強風帯、雪稜、岩場、急 斜面を越えてその頂上を往復するには、雪山の 基本技術を確実に身につけていなければならな い。
 戸台から北沢峠までは本書仙丈岳の稿を参照 していただきたい。
 北沢峠を早朝に出発、長衛小屋の正面で橋を 渡り北沢左岸の道を仙水峠に向かう。細い橋や 小さな岩場があったりするので、初心者が多い パーティの場合は初めからアイゼンをつけて出 発しよう。朝は寒いが、歩き出すと暑くなるか ら、堰堤を二つ三つ越えたら、早めに休憩して 衣類を調節する。稜線で吹かれる可能性がある ので衣類を汗で濡らしたくないからだ。  橋を越えて右岸に渡り、数分で五mほどの高 さの階段状の小さな岩場になる。なるべくフィ ックスロープを持たずに登ってもらい、アイゼ ンワークのチェックをしよう。この岩場でもの すごく不安定な動きをするメンバーがいる場合 は、今日の目的地は駒津峰までとするべきだ。
 岩場を越え丸木橋を渡り五分も登れば仙水小 屋である。通年営業をしているので心強い。年 末年始の休暇をはずして仙丈岳と甲斐駒岳に小 屋泊まりで登る場合は、ここがベースとなる。 小屋の上にはキャンプ地もある。
 小屋からさ らに北沢の谷を登りつめ、樹林を抜け鬼押し出 し様の岩塊の道をケルンに導かれて行くと仙水 峠着。甲斐駒摩利支天の全景や鳳凰三山、富 士山といった展望は最高だが、峠は風の通り道 なので寒い。
 峠から駒津峰までは再び樹林帯に入り、二時 間ほどの急な登りとなる。一時間ほど登った所 で林の中にいる内にヤッケ、オーバーズボン、 オーバー手を身につけよう。樹林帯を出て駒津 峰の頂上までは季節風の通り道の強風帯、耐風 姿勢をとりながら進むこともしばしばだ。
 初心者を含むパーティの場合は駒津峰を越え て進むべきではない。風の中記念写真を撮った ら勇躍引き返すのがいい。
 駒津峰の頂上を越え、甲斐駒岳への稜線に入 ると少し風が弱くはなるが、油断は禁物だ。六 方石まではやせ尾根歩き。基本的には尾根通し に進むが、所々で岩場に阻まれる。先行パーテ ィのしっかりとしたトレースがあれば良いが (安易にそれについていくべきではない)、そ うでない時にはルートファインディングを慎重に 行ってほしい。  一手と一歩で越える三級程度の岩場が二箇所 ほどある。靴の向きを岩と直角に、アイゼンの 前爪をスタンスにきっちり置いて登ろう。事前 に近郊の岩場でアイゼントレーニングをしてお くことをお勧めしたい。 六方石を過ぎると、 いよいよ甲斐駒への登りにかかる。尾根から真 っ直ぐ正面の冬季ルートを登る。左の雪面をさ け、なるべく岩の間を通るようにして進む。山 頂直下からの岩尾根を右から巻くように登り、 山頂に立つ。八ヶ岳が正面、中央アルプス、南 アルプス、富士山、奥秩父、そして北アルプス といった大展望の山頂だ。
 さて、往路を戻るわけだが、下降は慎重にし なければならない。足取りが不安定な人がいた ら、ザイルを出して確保する。六方石までもど って一安心だが、ちょっとした所で転ぶことが あるので要注意。駒津峰まで緊張を解かずにい よう。
 駒津峰からさらに往路を戻るパーティが多い が、その喧騒を避けて、南西に下り双子山経由 で北沢峠を目指すことにする。駒津峰から仙水 峠に下るより傾斜が緩くて歩きやすい。年末年 始のハイシーズン中であればトレースがないと いうことはないだろう。甲斐駒岳往復の稜線歩 きからの緊張をほぐしながら、のんびりと林間 の雪道をたどるのは楽しい。
●交通/往復=JR茅野駅(タクシー90分)戸 台 又は JR伊那北駅(タクシー60分)戸台
●コースタイム/北沢峠(1時間)仙水小屋 (20分)仙水峠(2時間)駒津峰(1時間)六 方石(1時間)甲斐駒ヶ岳(2時間)駒津峰 (30分)双子山(1時間)北沢峠 
●宿泊・幕営適地 北沢長衛小屋幕営指定地。 北沢長衛小屋(2000年は年末年始のみ営業、素 泊まりのみ)055・288・2111、 仙水小屋上幕営指定地、仙水小屋(要予約・通 年営業)0552・76・6293
●問い合わせ先/照会=長谷村役場観光課 0 265・98・2211 仙水小屋 0552 ・76・6293 交通=アルピコタクシー茅野 0266・72 ・2301 伊那タクシー 0265・76・ 5111
●2.5万地形図/仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳
●適期/12月下旬~5月上旬・山行アドバイ ス 年末年始と5月連休を除くと入山者が少な くトレースは期待出来ない。甲斐駒ヶ岳直下は 雪斜面が発達し、より困難となる。
●取材日 2000年1月1日
山と渓谷社刊 雪山登山 2000.10

 
戸台から仙丈岳

戸台から仙丈岳 松浦寿冶 2000.10

 仙丈岳はたおやかな尾根を持っていて、三千 メートルの高さのある美しい山である。南アル プス山としては思いのほか雪が多い。比較的危 険箇所が少なく、向いあう甲斐駒ヶ岳と併せて ピークハント出来るので、北沢峠周辺の小屋が 営業している年末年始や成人の日三連休を中心 に、多くの入山者を迎えている。
 年末年始や五月連休といったハイシーズンに は、戸台の登山口に地元の山岳指導員の方が常 駐している。ここで登山届を提出する。仙丈甲 斐駒の最新情報をもとにアドバイスをしてもら えるので心強い。提出用の登山届をあらかじめ 用意しておくようにしたい。  戸台川に沿って作られた堰堤工事用の道を歩 く。二つ三つと堰堤を越え、やがて河原歩きの 登山道に導かれる。途中角兵衛沢の出合いに赤 布などで目印がある。鋸岳への分岐である。河 原歩きにあきたころ、八丁坂への急な登りが始 まる。丹渓山荘が目印になる。ここで、雪の量 や状態によってピッケルとアイゼンの支度をし よう。一時間ほどで急登は終わり、雪の量もぐ っと増えてくる。なだらかな林間の雪道を歩く のは雪山の楽しみの一つと言えるだろう。まも なく南アルプススーパー林道に出会う。スーパー林道は雪に埋もれ静かに横たわっている。
 大平山荘の前まで来ると、北沢峠はもう目の 前だ。きょうのテント場は北沢長衛小屋一帯の 指定地とする。長衛小屋玄関前三十メートルの 所に水場がある。
 きのう通った道を少しもど り、長衛荘の前のりっぱなトイレの所が登山口 となる。樹林帯をつづら折れに登って行くと 「○合目」と表示が出てくるので、数えながら ゆくと案外はげみになるものだ。やがて木々の 切れ間から北岳を望む。国内第二の高峰を目の 高さから眺められる魅力の登山だ。
 大滝の頭と書かれた大きな道標があり藪沢小 屋への道が右に別れる所(藪沢小屋へのトレー スはない)で、アイゼンをつけ、ヤッケ、オー バーズボン、オーバー手を身につけよう。風が なかったら脱げば良いが、その反対はむずかし い。アイゼンについては、道が凍っていれば大 滝の頭よりずっと手前でつける場合もある。
 大滝の頭より三十分の登りで森林限界を出る。 そこから小仙丈岳直下の急斜面までは季節風の 通り道、強風帯だ。天候が悪い場合はここで撤 退しよう。
 小仙丈岳では展望を楽しむだけでなく、大仙 丈岳に向うかどうか判断する。大仙丈岳へ往復 2時間強、三千メートルの稜線歩きだ。途中で ホワイトアウトになったら大変だ。前日の天気 予報、空の雲の動きなどみながら慎重に考えよ う。登山者の多い所だけに、先行パーティがい るからといった安易な気持ちで一歩を踏み出す 可能性がある、判断は自分でしなければならな い。
 小仙丈岳を過ぎてすぐにまた季節風の通り道 の強風帯がある。耐風姿勢をとりながら進むこ とになる場合もあるが、そこを過ぎると案外風 は弱くなる。ただし、風には息があるので、尾 根がやせている所を通過する場合には十分注意 しよう。小ピークを4つほど越え登りつめて大 仙丈岳につく。
 大仙丈岳で大展望を楽しんだら早めに戻ろう。 山の天気は午後に下り坂になるが、雪山ではそ のちがいがはっきり出る。一時間たらずの差が 問題になる可能性がある。復路はおおむね下っ ているので思ったより早く小仙丈にもどれる。 でも、まだまだ、もうワンピッチ下ってしまお う。樹林帯に入って一安心。後は今朝の登路を 降りる。高度が高く温度が低いので、大勢の登 山者が通っていても雪道は凍らず歩きやすいが、 初心者はアイゼンをつけたまま下った方が無難 だ。
 翌日は往路をもどる。北沢峠から下は上に比 べれば暖かいため雪が踏まれて解けてそして凍 っている所があって要注意。丹渓谷山荘まで、 特に八丁坂はアイゼンをつけて下った場合の方 が多かった。
●交通/往復=JR茅野駅(タクシー90分)戸 台 又は JR伊那北駅(タクシー60分)戸台
●コースタイム/第一日=戸台(3時間)丹渓 山荘(1時間)八丁坂上(2時間)大平山荘 (30分)北沢峠 第二日=北沢峠(3時間)大 滝の頭(1時間)小仙丈岳(1時間)仙丈岳 (4時間)北沢峠 第三日=北沢峠(1時間30 分)丹渓山荘(3時間)戸台
●宿泊・幕営適地 北沢長衛小屋幕営指定地。 北沢長衛小屋(2000年は年末年始のみ営業、素 泊まりのみ)055・288・2111、北 沢長衛荘(2000年は年末年始のみ営業)026 5・98・3130
●問い合わせ先/照会=長谷村役場観光課∬0 265・98・2211 交通=アルピコタク シー茅野 0266・72・2301 伊那タ クシー 0265・76・5111
●2.5万地形図/仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳
●適期/12月下旬~5月上旬・山行アドバイ ス 成人の日3連休を過ぎると入山者が少なく 雪も多くなって、かなりのラッセルを強いられ るだろう。
●取材日 2000年1月2日
山と渓谷社刊 雪山登山 2000.10

 
踏んではいけないもの

踏んではいけないもの

 「踏まれても踏まれても、たくましく立ち上がって生きていく雑草のごと く・・・」よく耳にする人生訓であるが、雑草が特に強い植物であるわけではない。彼等の生育場所が人に踏まれる所、人が草刈りをする所であるとい うことでしかない。彼等はそういう場所で生きられるように工夫した体を持 っているのである。人の足の裏に付いて種子を運んでもらうオオバコや、地下に非常に長い根を持って地面に張りつくように葉を広げるタンポポなどは そのよい例であろう。もし彼等を踏みつけることなく放置しておけば、数年以内に他の野草や樹木にその場所を横取りされてしまう。踏まれない所では、 雑草とは弱い存在なのだ。
 そんなことを知ってか知らずか、われわれ人間は道端の草を平気で踏んで 歩く。平地でそのような行動に慣れているから、つい山に入っても登山道を 少しはずして草やコケを踏みつぶして歩いてしまう。たしかに土がふかふか していて気持ちはよいが、人が踏むという環境で生活することなどまったく 考えてもいない山の植物にとっては、大変な死活問題だ。たぶんこれには対 応できずに枯死してしまうだろう。少々歩きにくくても必要以外に登山道ははずすべきではない。特に足を踏み人れて欲しくないのは、高山のお花畑だ。 これがなくなったら、女の子の登山者が激減してしまうではないか・・・。
 高山の夏は短い。一年のほとんどを雪の下で生活するここの植物は、わず かの期間のうちに成長し、花を咲かせ、種子を作る。期間が短いから皆同じ 頃一斉に花を開く。大きく育つゆとりがないから、小さく咲く。花として目 立ち昆虫を呼び寄せなければならないから、色鮮やかに装う。高山植物が美 しくきらめいているのは生きるための大切な工夫なのだ。  街中に生え、人とともに生活する雑草、人知れず高山で咲く草花。それぞ れにその場所で生き抜くためのさまざまな工夫を見つけることができる。そ れはどれも合理的で無駄がない。山ヤ諸兄、無駄でムラな生活をせぬよう心 掛けねばなりませんぞ。
岳人1984年10月掲載

 
植物も富士山に登る

植物も富士山に登る
  「ノミがリュック背負って富士登山」などという歌の文句があったが、植物 も富士登山をしていることをご存知だろうか。富士山は北アルプスや南アル プス等の山々に比べればずっと新しくできた山なので、まだ植物に登頂され ていない。あと千年もたてばそれらの山々と同じように、山項近くまで森林 が登ってゆくことだろう。
 植物が登る前の山肌は、降水と強風のために養分は流出し、激しく乾燥し た砂礫に覆われている。それでも大きな石の傍などでは水と養分の流出がわ ずかにくい止められ、風も少し弱いので、うまくいけばオンタデやミネヤナ ギなどの荒地を好む植物が根を下ろすことができる。この根が水と養分の流 出をさらに押さえるので、彼等は仲間を増やし群落をつくる。彼等の枯葉は スポンジのように水を含んで堆積し、土中微生物が活動を始める。こうして 群落の中に「土」ができていくのである。  ところが彼等がようやく作った群落の中はとても住み心地のよい場所なの で、より強大な植物であるカラマツやダケカンバが芽生え成長して、彼等を 少し登った所にある荒地に追いやってしまうのだ。皮肉なことにカラマツや ダケカンバもそれが群落を作り終えた後はさらに強大なシラビソやコメツガ などに追い出されてしまう運命にある。これらの樹は強い風のために一方向 にようやく枝を出して立ち上がったカラマツや、左右に曲がりくねって育っ たダケカンバの脇から、豊かな養分と水分をいっぱいに吸って風も受けずに 真っ直ぐにすくすくと育っていく。こんなことを繰り返しながら、植物は荒 れた砂礫の山肌を腐葉土がフカフカに積もった土に変えつつ、ゆっくりと登 ってゆくのだ。
 先日、丹沢にいった時のことだ。源頭のガレ場にしがみつくようにして生 えた樹を見た同行者が「こんな所にも土があれば植物が生える」と感じ入っ ていた。土があるから植物が生えるのか、植物が生えるから土ができるのか、 それはニワトリと卵の関係のようなものなのだが。 岳人1984年6月掲載

 
岩は脆くなる

岩は脆くなる

 丹沢の水無川といえば沢登りのメッカとしてよく知られている。モミソ沢、新茅ノ沢、源次郎沢など人気の高い支沢も多いが、なんといっても本谷は表丹沢の盟主塔ヶ岳へダイレクトに突き上げる沢だけに、遡行者も多い。
 本谷F8の大棚の円形状に広がった岩崖に水を落とすさまは壮観。通常は右についている高巻き道を利用するのだが、左壁を登ることもできる。とはいっても左壁は岩塊を積み重ねて構築したような感じで、とにかく脆い。
 過日、本谷を遡行した折、ガラガラと岩を落としながら左壁を直登しているパーティを目の当たりにした。同行の女性に「すごく脆い岩なのね。なんていう名前ですか」と聞かれた。 脆い岩に固有の名称はない。たとえば花崗岩一つとってもハンマーでたたくとキンキン音をたてて跳ね返るものもあれば、手で握りつぶしてしまえるほど柔らかく脆いものもある。
 ほとんどの岩は、地面の下数十キロの深い所でできたものだ。そこは指先くらいの面積にダンプカー数台分の重さがかかっている高圧の世界である。われわれが目にする岩はそのような世界に生まれ育ち、幾万幾億年の年月を経た地殻変動によってわずか一気圧しかない地上に出てしまったものなのだ。それは地上の人間が宇宙服をつけないで月に降り立った時のような激しい環境の変化に相当する。高い圧力でささえられてきた岩はそのささえを失って、長い年月のうちには自らふくれあがり崩壊していく。つまり岩とは、本質的に崩れていくものなのだ。
 それに追い打ちをかけるように、地上では日に数十度も変わる温度変化があって、そのための体積変化は岩を破壊するに充分だし、さらに水による浸食はとどまる所を知らない。
 大棚左壁に限らず、脆い岩場で冷や汗をかいた経験をお持ちの方は多いと思う。それは決して不運な経験ではなく、むしろ当然と考えた方がいい。そう考えて行動すれば安全率も高まる。
岳人1984年8月掲載


岩の分類
(1)水の流れなどで運ばれた土砂が海や湖に降り積もり固まって出来た岩(堆積岩,,成分の砂などは丸く,化石が入るのが特徴)
直径数ミリ程度の小石が成分→礫岩、砂→砂岩、泥→泥岩、火山灰→凝灰岩
炭酸カルシウムが骨格の生物→石灰岩、二酸化珪素が骨格の生物→チャート
*石灰岩の岩場についての参考記事はこちら
*チャートは日本語(ドイツ語のケルツァイトが訛ってチャートになったらしい)です。
(2)火山を作るマグマが冷えて固まった岩(火成岩)
…①地下深くでゆっくり冷えた(深成岩,結晶の集まりの等粒状組織)
白色→花崗岩(カコウ)、灰色→閃緑岩(センリョク)、黒色→斑糲岩(ハンレイ)
…②地上近くで急速に冷えた(火山岩,斑晶と石基からなる斑状組織)
白色→流紋岩(リュウモン)、灰色→安山岩(アンザン)、黒色→玄武岩(ゲンブ)
(3)上記(1)(2)の岩々が地下の高温又は高圧で変化して出来た岩(変成岩)
石灰岩が熱変成→大理石、泥岩が圧力変成→緑泥変岩 など

 
低気圧と雲の話し

低気圧と雲の話し

 3月の連休で秋田駒ヶ岳を登りに行った。朝からおだやかな晴天で、田沢湖スキー場 側から登り山頂で展望を楽しんだ。男岳から女男岳に向かうころ、空をベールのような 雲(絹層雲)が覆い始めた。天気はあと半日くらいしか持たないと判断、乳頭山までの 縦走を止めて笹森山から下山した。案の定、下山途中で雪が舞い始め、早めの下山で事 無きを得た。
 悪天をもたらすのは低気圧である。その正体と、それがどんな雲と共にやって来る かを知って行動することは、初心の登山者の内から身に付けるように努力してほしいと 考えている。
 低気圧が出来るには、地面から空に向かって風が吹く(上昇気流)が必要だ。上昇気 流は地表近く(海面近く)の水蒸気を空に持ち上げる、空は地表近くより寒いから水蒸 気はもとの水滴(雲)にもどってしまう。水蒸気が水滴になるときに熱を放出するから 雲は回りの空気より暖かい、暖かいから上に登る、それで上昇気流はもっと大きくなっ ていく。雲は雲を呼び上昇気流は左回り(地球の自転のために)の渦を巻き、ついに低 気圧と呼ばれるほどに発達する。上に上がった水滴に水蒸気が水となって付着して大き くなり、いずれ落ちて雨や雪になる。こうして低気圧は悪い天気の元凶となって行 くことになる。
 反対に空から地面に向かって風が吹くのが高気圧、水蒸気が上がれないから良い天気 になる。よい天気の方の研究は後回しにしてほしい。
 低気圧が近付いて来るとその上昇気流の末端が空高くに見えてくる。最初に見えるの は箒で掃いたようなすじ雲(絹雲)、うろこ雲(絹積雲)、太陽や月にカサをかけるベ ール状の雲(絹層雲)だ、飛行機が飛べば上空に水蒸気があるので飛行機雲が出来る。 数時間後に羊雲(高積雲)が沢山空に浮いてきて、そのあと空は雲(高層雲)でおおわ れてしまう。だんだん雲は厚くなり(乱層雲)そして雨や雪が降ってくる。すじ雲(絹 雲)を見てから半日くらいで低気圧の中心近くの雲(乱層雲)がやって来るというわけ だ。
 いっぱい雲の名前が出てきて困るなんて思いはじめているかもしれないが、今まで出 た雲の名前は六種(括弧内の名称で覚えるのがいい)である。それに加えて入道雲(積 雲)と雷の出る巨大入道雲(積乱雲)と雲海の雲(層積雲)と仙人が食べる霞(層雲) の全部で十種である(十種しかない)。山の花を見るついでに雲も見るといい、花より ずっと簡単に雲は覚えられる。
 初心の内はリーダーの後について山に行き景色を見るのも夢の内で地図を見るゆとり も無いかも知れない。それに、地図を見ろと言うリーダーは多いけど、雲を見ろなんて のは少ない。だけど、そんな山でも、数回行くとゆとりも出て来る。山に行く前に天気 予報を良く見る(ウォッチする)ようにもなる。それに併せて山に行って雲を見よう。 それを繰り返していると自然に、山の天気を読む力がついてくる。ただし、天気は完全 に読むことは出来ないのだから、だいたいこうなるだろうと思うようなファジイな姿勢 で取り組んでほしい。ファジイというのは、天気の判断が外れても安全に行動出来るこ とにつながっている。
岳人1999年3月掲載

 
光の絵筆

光の絵筆

 ご来光を求めて早起きする。外に出ると肌が切られるように寒い。そんな朝なら快晴間違いなし。モルゲンロートが期待出来ようというものだ。東の空に黄金色の暁が上がると、不思議な感動を誘う何かがある。しばらくして、空の色は紺から青に変わり、太陽はそれをバックに白くまぶしく輝き出す。一日の行程を終える頃には、西の空に茜色の夕日が沈む。同じ太陽の光なのに、どうして色が違うんだろう。
 光の色は、その波長(周波数)の違いによって決まっている。虹の七色、赤橙黄緑青藍紫、波長が長いと赤く、波長が短いと紫に、全部合わさって白、全部無くて黒になる。人の目は他の動物に比べこれらの色(波長)を微妙に識別出来る優れ物だ。
 防波堤に囲まれた港にいても大きなうねりや潮の干満が感じられるように、波長の長い波は防波堤のような障害物を乗り越える力が大きい。光も同じで、赤くなればなるほど(波長が長くなって)、障害物である大気中のごみや煙霧を透過する能力が高くなる。高速道路のトンネルでオレンジ色(赤くしないのは信号と間違えないため)のナトリウムランプを使って、排気ガスで視界が悪くなるのを防ぐのも、吹雪の中で赤い色が目立つのも、その赤っぽい色の透過力のためだ。朝日や夕日は水平線のかなたから届く、真昼の太陽に比べて数倍長く大気のごみの中を透過して来るので、赤っぽく見えるのだ。
 地上に突出する山は大気によってすぐに冷えて寒くなるし、太陽熱ですぐに暖められもする。朝は平地の方が暖かく山はまだ冷たいので山から平地に風が吹く。夕は山が暖まるから平地から風が吹く。朝日と夕日の色の違いは風の違いといえる。風の中に含まれるごみや水蒸気の量の違いによる。
 空はどうして青いのだろう。同じ太陽の光でも、波長の短い青っぽい方の光は大気中のわずかなごみで散乱し空を青く輝かせる因となる。ごみが少なければ少ないほど色は青から藍へと変わって行く。大気がなければ空は漆黒となるはずだ。
 高山は空気が薄い、その分空の青は深まり、朝日はより黄金色に輝く。もし、そこが雪山だったら、山肌の白をカンバスに空と太陽は様々な色模様を描いていく。その演出はなかなかのものだ。
岳人1993年12月掲載

 
今は昔の家型テント

今は昔の家型テント

 黄色いビニロン生地でできた家型タイプのテントが主流であったのはもう二昔も前の ことだ。現在は、ツエルトやタープに家型テントの張り方は受け継がれてはいるが、テ ント自体は柔構造フレームの自立式のものが主流となっている。家型テント設営の技術 の中には自立式テントのそれにも受け継いでおかなければならないことが幾つかある。
 家型テントの四隅はグランドシートの形にあわせなるべく正確な長方形に固定される 長方形がゆがめば家型の屋根部分にシワができ、雨、風に弱くなるからだ。自立式テント にも同じ事がいえて、四隅(八隅の場合もある)を引きぎみに固定しグランドシートに シワがでないようにする。それによって、テントの床面が設計どおりの広さとなる。またポ ールも設計どおりのカーブで設置されることになるから、曲がったり折れたりしにくく なる。
 家型テントにとって張り綱はテントが立っているための大もとでメーンの四本の綱の うち一本でもはずれれば簡単に倒れてしまう。自立式テントの場合は自分で立っている わけで張り綱のない設計もあるくらいだ。それでも張り綱があるタイプでは強風でフレー ムがひしゃげるのをかなり防ぐはずなので、きちんと張った方がよい。張り綱の張り方は 両手で運べるくらいの大きな石を二個くらい使ってとめるのがよい。四隅の固定も四隅に ある小さなテープ(細ひも)の輪に小枝を通し石で固定するようにするとよい。ペグを打つ 場合(ペグが効果的に打てるテント場は少ない)はペグを打ってから張り綱をかけるよう にする。摩擦で張り綱が切れるのを防ぐためだ。
 テントが張れると折りたたみ式のシャベルで、水路を掘ったものだ。自然破壊について うるさい昨今、水路など掘れば管理人さんに大目玉をくらうことになる。大雨が降った時 の水の流れを計算して、設営場所を選ぶしかない。
 雪の上に家型テントを張るのは大変だった、シャベルで雪穴を掘って十字に組んだ竹 を埋めそこからメーンの張り綱をとった。新雪のときは強度を増すために、竹を埋めた 後に小水をかけたりもした。
岳人1993年11月掲載

  
山菜栽培

山菜栽培

 春、山からの帰り道、道の左右を注意して見ながら歩いていく・・・「あった!」タ ラの芽だ、不思議な興奮が体中に走る。
 自分の家の庭でタラの芽が採れたらと思い立って、苗株を手に入れ(種苗会社の通信 販売を利用)晩秋に定植した。残念なことに、春に新芽がちょっと出かかったのみであ っけなく枯れてしまった。タラの木は典型的な陽樹で、陽当たりが抜群に良い所でない と育たない。建物や塀に囲まれた町中の小さな小さな庭?で栽培するのにはちょっと無 理があった。
 あきらめるのは早計だ、「タラ」はだめでも、「こごみ」、「わらび」、「ふき」、 「ぎぼうし」、「わさび」、「みつば」等というように陽当たりのあまり良くない所を 好んで生える山菜は多くある。家と家の境あたりにわずかでも土があって畑にできる スペースを見つけたら、何種類か植えてみて育つかどうか試したらどうだろう。清流に 生える「わさび」が畑土で育つのはうれしい(実生の元気な苗や畑向きの栽培種でない とむずかしいけれど)。簡単なところでは、日陰に植えた「ヤマノイモ」、つるを陽の 当たる方へなんとか誘引するとムカゴがいっぱい収穫出来る。子供たちが大喜びすること うけあいである。
 種や苗株の手に入れ方が気になるところだ。スーパーでみかけるほどのポピュラーな 山菜は種苗会社で扱っていて、育て方も詳しく教えてくれる。そうでない場合に有効な 方法としてはヤマノイモ採りのテクニックを応用するのが良い。つまり、山歩きの合い間 に目指す株を見つけたら目印をつけておき、寒くなって葉が落ちた後に休眠している根 茎を掘りとってくるのである。宿根草にしか使えない方法だが少なくとも本稿に登場し た山菜のほとんどはこの方法が可能である。植える土だが、一平方メ-トルにつき少な くとも一キログラムは腐葉土を撒いて耕し、ごみや石を取り除いて準備しておくこと。 植えつけた後、保温ということで落ち葉(公園に行けばいくらでもある)をかけておくと 良いだろう。
 食べ物が採れると、本能的に満足というか喜びというかを感じる人は多いはずだが都 会のビルの谷間での山菜採りの場合は、それで楽しめるか、そうでないか・・・?
岳人1992年6月号掲載

<2002年8月の補足>
 「山菜栽培」は雑誌「岳人」に送った生の原稿が残っていたものを掲載しました。1992年 6月号の「山の雑学ノート」に掲載されたわけですが、いつものことですが編集者が少し 手直ししてくれます。
 出だし修正『春の道を歩いているとき、左右を注意してみていると「あ った!タラの芽だ」という出会いがあり不思議な興奮が身体中に走る。随分トクした気分 になる。』
 中段修正『しかし、あきらめるのは早計だ、タラはだめでも、コゴミ、ワラビ、フキ、 ギボウシ、ワサビ、ミツバなど・・・』
 後段削除部分『植えつけた後~良いだろう』、しめくく り「食べ物がとれると」以後書き換え『収穫はなんといってもうれしいものだ。都会のビル の谷間でどこまでできるか、家庭山菜園にチャレンジしてみませんか。』
 タイトルはいつ も書かずに送っていて、この原稿に編集者がつけたタイトルは『家庭山菜園』でした。

*雑誌岳人に原稿を送ると、半分くらい修正されるときもあれば、そのまま無修正のとき もありました。自分ではわかっても人には伝わりにくい表記をあきらめずに修正してくれた 編集者のかたに感謝しています(感謝の気持ちを伝えるすべはないけれど)。

 
山道具の不思議なカーブ

山道具の不思議なカーブ

 昔、イギリスのクライマー達は、ボルトナットのナット(雌ネジ)の大き目のやつを 持って、岩を登っていたという。ナット(複数で持つからナッツ)を岩の割れ目にはさ みこんでこれをハーケンと同じ目的で使用していたのである。
 そのナッツは時を経て改良され現在は三日月の上と下を水平に切り落としたよう な形をした、カーブつき台形をしているものが多い。台形型にするわけは、岩の割 れ目にはさみこむという目的を考えればすぐわかるが、カーブはいったい何のため についているのだろうか?
 人の足の土踏まずは、親指のつけ根、小指のつけ根、かかとの三点で地をとらえ 高い歩行能力をもたらしている。土踏まずのない子供が増え、歩かないその日常生 活が浮き彫りにされたのは記憶に新しい。ナッツのカーブはナッツの土踏まずだ、 単なる台形のくさびより岩と接触する部分が多くなって、外れにくいというわけだ。  わざわざ土踏まずのカーブをつけていない場合もある。岩登り用の靴(クライミン グシューズ)のフラットソールがそれである。加重すると平らな靴底は反り、一点で 岩をとらえる。小さな足場を利用するため、二点以上で靴と岩が接触する可能性の 少ないハードな岩登りにはこのことが有効だ。
 スキーをお持ちだろうか、その形を見ると、中央部付近の部分はトップとテールの カーブとは反対向きに弓のように反っている。この反りをベンドとかアーチベンドとか 呼ぶ。スキーのベンドはスキーの土踏まず、スキーに加重するとスキーは平らになり、 板全体で均等な圧力で雪面をとらえることができるようになる。クロスカントリースキ ーでは、片足に体重をのせた時にだけ土踏まずが雪に接触するようにしてあるので、 土踏まずに滑らないワックスを塗っておけば、片足に加重することで坂が登れるとい うわけだ。
 山の道具の持つ色々なカーブは飾りではなくその形一つひとつに意味のあるもの が多い。意味が分かって使うことで、道具の性能をさらに引き出せるというものだ。 飯盒の形とか、アイスバイルのピックの形とか、カラビナの形とか・・・。
岳人1994年12月号掲載

<2002年8月の補足一度出した下の原稿はボツとなってしまった。・・・泣!
1994年8月号の「岳人」掲載では以上のように書き換えて採用されました。>
 昔、イギリスのクライマー達は、ボルトナットのナット(雌ネジ)の大き目のやつを 持って、岩を登っていたという。ナット(複数で持つからナッツ)を岩の割れ目にはさ みこんでこれをハーケンと同じ目的で使用していたのである。
 さてそのナッツも時を経て改良され現在は三日月の上と下を水平に切り落としたよう な形をしたくさび型をしているものが多く利用されている。くさび型にするわけはすぐ わかるが、三日月型のカーブはいったい何のためについているのか?
 スキー(アルペンスキー)をお持ちだろうか、その形を見ると、トップとテール部が 上に反り、滑走する部分がそれと反対向きに三日月型に反っている、この反りをアーチ ベンドと呼ぶのだが、なんでアーチベンドがつけられているのだろうか?
 わざわざカーブがとってある場合もある。フラットソールのクライミングシューズは なんでフラットソール(平な靴底)なんだろう?
 二の字、二の字の下駄の跡・・・の下駄の歯は二つ、一つだと安定して立てない。二 つの歯の間の接地しない部分・・・土踏まずをつくるために下駄の歯は二ついている。 人の足に土踏まずがある。これのおかげで人は親指のつけねの所と、小指のつけねの所 とかかとの三点で地をとらえ立っている。ナッツのカーブはナッツの土踏まずだ、単な る台形のくさびより岩と接触する部分が多くなってとれにくいというわけだ。
 スキーのアーチベンド、これもスキーの土踏まずだ。加重した時にスキー板全体が均 等な圧力で雪面をとらえられるというわけだ。
 岩登り用の靴の靴底は平で、フラットソールがその代名詞となっている。加重すると 平な靴底は反り、一点で岩をとらえる。小さな足場しか使えない岩登りにはこのことが 有効だ。
 山の道具の持つ色々なカーブは飾りではなくその形一つ一つに意味のあるものが多い。 意味が分かって使うことで、道具の性能をさらに引き出せるというものだ。例えば・・ ・どうして飯盒は飯盒の形をしているの?

 
レンズの話し

レンズの話し

 小さめのザックの横に大きな三脚をつけて、ゆっくりゆっくり登ってくる登山者によ く出会う。その人は山の写真を趣味としているのだ。もしかしてプロのカメラマンかも しれない。ザックの中には重たくて大きなレンズと、それを取り付けるのに見合った大 型で頑丈なカメラが入っているはずだ。
 良いレンズが大きく、重たくなってしまう理由を御存じだろうか。まず望遠レンズの 場合、拡大するために焦点距離を長くしなければならないし、明るい像を結ばせるため にレンズの径を大きくするので、それだけで、携帯用の魔法ビンぐらいの嵩になってし まう。広角レンズは焦点距離が短く、大きな被写体を小さく縮小するのだから、光も濃 縮されることになって、小さな径のレンズでも明るい像を結ぶことができる。僕らの持 つポケットカメラの多くはこのことを利用して小さく作ってあるわけだ。ところが先の 登山者のザックから出て来る広角レンズは、長さこそ短いがポケットカメラ丸ごと一 台分以上ほどの重さがある。レンズを納めた筒の中に、凸レンズと凹レンズが何枚も組 み込まれているからだ(凸凹何枚も入っているのは望遠レンズも同様)。
 光は色によってレンズを通る時の屈折率が異なるし、レンズの中央でではなく空気と ガラスの境界面で屈折する。このため、色がにじみ像が歪む、いわゆる色収差、球面収 差が生ずる。その収差を補正するために屈折率が異なり球面の異なる幾つかのレンズを 組み合わせているのだ。そのため、より鮮明な映像を追及すると広角レンズと言えども それなりに重くなってしまう。
 カメラ以前の時代、望遠鏡や顕微鏡を作り始めた頃、その製作者達はレンズの球面収 差や色収差に悩まされていた。しかし彼等はこの悩みを解決する方法は分かっていた。 もともと光学機器の原形である人間の目が、角膜・水晶体・ガラス体・とそれらの間を 満たす液体が凸凹何枚ものレンズの役目をしていて、それらの組み合わせで収差を補正 するという仕組みを持っていたからである。彼等の悩みはガラスの屈折率を自由に設定 出来る現代になってほぼ完全に克服されたが、それが重いので困る。
岳人1996年5月号掲載

 
エバードライ

エバードライ

 ザイルといえば、いまやエバードライであることが常識になった、といっても過言で はあるまい。だからといって永久に乾燥しているはずもなく、雨中の登攀やシャワーク ライミングでは水も滴るほどに、たっぷりと濡れてくれる。が、エバードライのものと、 そうでないものとには大きな違いがあり、冬季にはその差が歴然と表れる。エバードラ イのザイルとは、撥水加工されたザイルのことである。
 コップの中に入った水に指を入れてみると水滴がついてくる。これは水の分子が他の 物質にくっつこうとする性質を持っているからで、これを付着力などと呼んでいる。さ らに水の表面には、ゴム風船のゴムのようにお互いに引き合う表面張力がある。  ザイルの繊維の間の小さな隙間と水が出会うとどうなるか。まず付着力で水がくっつ き、その水が表面張力で周囲の水を引く。隙間は小さいから、表面張力という小さな力 で水が入り込んでくるのだ。水はさらにその奥に付着し、また表面張力で水を引き込む。 これを繰り返すうちに、やがて水はザイルの芯までしみ込んでしまうのである。  これでは困る。水をはじき出すにはどうしたらいいか。そこで考えられたのが撥水加 工だ。
 水というやつにも相性がある。嫌いな物質には付着しにくい。そのような物質と水が 出会うとどうなるか。そこに小さな隙間があっても、その中に水が付着する前に、隙間 の周辺の水の表面張力で水を外に引き出す。つまり撥水するのである。そのような物質 でザイルの繊維をコーティングしてやれば、水のしみ込みにくいザイルができ上るのだ。 笛吹川でアイスクライミングを楽しんだときのこと。氷の上をザイルをひきずって攀 じるのだから否応なく濡れる。エバードライであればこそ、しなやかさを失わずにザイ ルの姿を保っているが、そうでなかったから悲劇、芯まで濡れたザイルは、カチカチの 針金と化してしまったのである。
岳人1984年4月号掲載

 
スベル

スベル

 今冬は雪の便りが早かった。十一月下旬の富士山五合目には、五〇センチを越える積 雪があったという。こんなことは十年ぶりのことだ。さっそく毎年恒例の雪上訓練に、 10人ほどのメンバーで出かけて行った。
 馬返しから歩き始めて小一時間、道の左右に雪が現れた。なぜか皆黙々と歩いている。 こんな時はだまって回想にひたっているのが、なんとなく格好がいい。人真似に興じて 歩いていると、前の方でツルリ、中の方でツルリ、あちらこちらで転がっている。見れ ば足元は氷の道。上に土くれが少しかぶってカムフラージュしている。右足がツルッ、 それをカバーした左足もツルッ。ドテッ。ああ尻が痛い!「転ばなけれぼ、どういう所 で滑るかわからないものさ」エラそうにいうヤツ(先輩)がいる。コノーッ・・・・・・。  ところで、ツルツルすべる氷は、水の温度が低いために変えてできたものである。水 というのは他の物質にはない特別の性質を持っている。例えば、普通の物質は温度が下 がって液体から固体に変わると体積は小さくなるが、氷は逆に増える。つまり氷は水よ り軽い。だから氷は沈まないで水の上に張る。氷が他の物質と決定的に異なる点は、圧 力をかけるだけで氷という固体から水という液体に変わるということである。だから氷 の上に靴をのせると、その圧力によって解けた水が、靴底と氷の間に常に存在すること になる。これが潤滑油となって摩擦を極端に減らす。そこで「滑る」ということになる わけだ。
 もし氷がこれらの特異な性質を持たなかったとしたら、少なくとも滑らないためのア イゼンとかピッケルは不要になるし、スキーとかスケー卜の楽しみはなくなる。また、 海に浮かぶ氷山とか渓流の上にかかるスノーブリッジなどというものは存在しないこと になる。
 さて、富士山での雪上訓練では、雪の急斜面で滑ってしまったときの対策として、滑 落停止を繰り返しトレーニングしたことはいうまでもない。
岳人1984年2月号掲載

2020年1月6日補足
ネット上の記事を以下に貼り付けます。

なぜ氷の上は滑るのか?」という問いに対する伝統的な通説が2018年に覆されました。

「スケート靴のブレードが氷の上でなぜ滑るのか?」という疑問に対する古くからの通説的な見解は、刃が氷を押し付けるときに高まる圧力によって氷が融けるからというもの。「固体(氷)が液体(水)よりも密度が低い」という水の持つ珍しい特性から、氷に圧力が加わるとそれを逃がす方向で、密度の高い液体の水に変化するという熱力学的なメカニズムが働き、氷から変化してできた水によって滑るというわけです。しかし、この考えではブレードではない靴底のような接地面積が広く比較的圧力が小さな状態でも滑ってしまうことを説明することができません。

「なぜ氷の上は滑るのか?」という疑問を解決する研究を行ったのは、マックスプランク・ポリマー研究所の永田勇樹博士らの研究チーム。研究チームは、氷の表面上に薄くできる「層」の構造に注目し、氷が滑るときにこの層がどのように変化するかを調べました。

研究では、温度をマイナス100度から0度まで変えた氷の上に鉄球を転がすことで、氷の温度が低くなるにつれて摩擦力が高まることを発見しました。温度によって摩擦力が変化する原因を探るため、氷の表面の水分子の構造を分光学的手法で分析しました。

結果、氷の表面には2種類の水分子が存在することがわかりました。一つは3つの水素結合によって分子を構成して氷の下に潜り込む水分子で、もう一つは2つの水素結合で結びつき比較的自由に動く水分子だとのこと。一般的な氷の水分子は4つの水素結合によって結びついていますが、氷表面にはより水素結合の数が少ない水分子が存在するというわけです。そして、これらの可動性のある水分子は熱振動によって小さな球のように氷の上を継続的に動き回ることがわかりました。

これら2つの固体の水分子は相互変換され、温度変化によって割合が変わることもわかりました。実験では、マイナス70度を超えると水素結合が2つの水分子が増え始め、温度上昇に従って氷表面の摩擦力が低下していく関係性が確認されています。以上の通り、氷の表面が滑るのは、溶けた液体の水が原因ではなく、氷表面に存在する「可動性のある水分子」が原因だということが判明しました。

なお、温度上昇に従って摩擦係数は下がり続けますが、マイナス7度で最小値をとることが確認されています。この理由について、研究者はマイナス7度から0度の温度域では氷が柔らかくなり、氷の上を滑る物体の表面の物質が深く氷に食い込んでしまうため、摩擦が高まり滑りにくくなってしまうと考えています。





 

平成3年度 県教育委員会委嘱     
                         
1991.11.8 松浦寿治
     学校教育放送利用研究発表(理科)       

『はじめに』
 教育放送をその放送時間に合わせて利用するということは中字校の時間の割振りの現状から考えて、大変難しいことである.しかし、その放送をビデオテープに収録して利用するとなると、様々な可能性が出てくる.
 番組の入つたソフトウェアを安価で大量にしかも自分の学校にストックすることができる、ビデオテープであるから編集も容易である.ハードウェアの操作は生徒が行えるほど簡便である.このことは従来から利用されていて教青放送利用のベースともいえる16mm映画(市ライブラリー貸し出し、現在40本ほどの理科の教育映画を所有している)と比較すると数段手軽で便利な事である.
 テレビ視聴ということには例えば著作権とか器材の管理といったいくつかの問題点がある.なかでも、生徒の受け身的な体質は重大である.昭和50年代をすぎて、各家庭に大型のカラーテレビ、ビデオ設儂が普及し、しかも快適な空調設備のある部屋に置かれるようになった。レンタルビデオショッアは安価で有り余るほどのソフトを供給してくれる.その様な豊かさは生徒の視聴者としての質を変えてしまった.残念なことだが見せることの出来ない、引きつけることの出来ない、おもしろくないものは見すごす.よほどインパクトが強くないと、入ってくる情報を受動的に受け流す習慣を身につけてしまっている.このことについては特に考えなければならない.
 (授業の中に教育放送を取り入れることによつて、自ら能動的に、情報を取り入れようとする意欲を小さいものにしてしまう可能性は無視できない.例えば「火山に行かなくとも、テレビの画面で火山を知ることは出来る.それで良しとすることなく、テレビを見て火山に行って見てみたいと思う生徒本来の意欲を大切にしたいということである.)
 ともあれ教育放送の利用は時代の要講として必然的に多くなって来るものである.今回の研究を期にその利用技術を高めて行きたい. 


『理科の研究課題と学校研究課題・教育放送の研究主題との関わり』
 本年度、本校の研究課題は「気づかせ、考えさせ、発見させる学習指導」、教育放送の研究主題は「教育放送を通して主体的に情報を活用する力を育てる」である.どの教科においてもそうであろうと思うが、生徒が主体的に活動したり授業に取り組んだりすることを目指して日々取り組んでいる.しかし、指導技術の未熟さや様々な原因から、いつのまにか教師の側から一方的に題材を提出し、それを繰り返すうちに生徒をおのずと受け身にさせ、それに伴うように学習窓欲を低下させてしまう.
 理科には実験や実習といった生徒の活動場面は多くあるが、それでさえちょっと注意を怠つてしまえば、生徒は何も手を出さなくなる.「気づき」「考え」「発見する」という生徒の状態はそれを多く生徒が経験して、その喜びを知っていて、しかも半ば習慣化していなければならない.そうでないと同様に習慣化しやすい、教師の方で追い込みがちな受け身的体質に対抗出来ない.先に特に考えなければならない問題としてこの体質のことを記したが前記の研究課題はこの問題を乗り越えるための重要なボイントである.研究の実践として授業の指導案を作って行く中で意識してその3つの状態が作り出せるように工夫していかなければならない.
 テレビ視聴と主体性を結び付けるためには、視聴者が少なくとも学ぶためテレビ番組をみる時とリクレェーションのためのその時では『視聴の意識が違っている状態』(言いかえれば先の三つの状態が視聴の時に機能している状態)を作り出せなければならない.そのための手立てを工夫すること、番組視聴の後いかにその内容を咀嚼するか、どのようにそれを繰り返すかということが主題にせまるための実際の課題である.
(見る一咀嚼 見る一咀嚼 見る一咀嚼 見る一咀嚼の繰り返しがテーマにせまる.)

 

              

『教育放送の埋科の授業への位置づけ、教育放送利用の手法』
 理科の授業の多くの時間が実験に当てられている.実験、実習で五感をふるに使って学ぶことに、どんな高度の話術を持ってしてもかなわないという現実があるからだ.例えば、光合成に出てくる5つの言葉、水、二酸化炭素、光、酸素、糖を知らせるたいとする.話だけで済ませれば、引き伸ばしても50分で終わる内容を、最低でも水から糖まで5種の実験を交え8時間ほどの時間がかけられる.このことを教育放送の番組にすればわずか15分で感動的?にまとめあげられてしまう.
 以上を合わせ考えて理科の場合の教育放送の利用の方向性が少し見えてくる.その方向性に照らし合わせて番組を選択して行く事になる.

<番組利用の授業への位置づけ>
1、実験や、実習、現地見学、直接体験が出来にくい内容を番組を見ることによって代換するという位置づけ.(『①実験実習代換法』と仮に呼ぶことにする.)
2、実験の補助としてその前に利用する.番組で見た実験が再現出来る事によって、学びが深まって行くという位置づけ.(『②実験実習再現法』・・・)
3、過去に学習した内容の復習、一連の授業の導入、自然に対する情操を高めるため、などということで番組見るだけで終りにする.つまり番組に教師の役割を一任してしまうという位置づけ.(『③一任教授法』 ・・・)
4、番組による授業と、教師による授業が並立して行われ、それぞれのが協力して学ぶことを深めていくという位置づけ.(『④協力教授法』・・・)

<番組利用の手法>
1、番組の丸ごと利用
(この方法が基本である.教育放送の利用とはつまりその番組の利用であると考えられる.番組は、テレビ局から放送され、時間になったらテレビのスイッチを入れ丸ごと全部見てしまいその時初めて教師も生徒も中身を知ると言うことを前提に作られている.当然、素直にその制作意図にのつとって丸ごと利用することが最も無埋が生じない.冒頭に記した様に教育放送の利用はその簡便さゆえに大きな可能性を持つものである、編集等のめんどうな作業は結局その利用を先細りさせてしまうことになる.
 もちろん番組の中には教師の授業の内容から逸脱しているかに思われる部分も少なからずある.番組の丸ごと利用で教師のバーフォ一マンスと番組のそれとが、複線で並立することになる(期せずとも『④協力教技法』になってしまうということ).そのことはおおいに受け入れて研究を進めなければならない.注意を怠つてはならのは、教師が、VTR録画の作業のなかでとか教材選択のためにとか言うことであらかじめ番組を見てしまうことの方が多いため、いつのまにか自分のねらいを逸脱し番組のそれの方に引きずられてしまいがちになる点である.教師はまず自分の授業を確立させなければならない.
 また、次項2、3の利用方法は教育放送を視聴覚教材として利用することに他ならないと考えたい.
2、必要な部分だけを切り出し利用
3、複数の番組や自作の教材を連結し編集して利用.
4、複数番組から生徒が選択して視聴
5、図書室の本のように貸し出して視聴.



『本年度の研究でわかってきたことの中間のまとめ』
 研究の評価の観点を一言で記せば、「どれだけ主体的に番組を見れるようになつ、どれだけ主体的に、理科の授業に取り組めるようになったか.」ということである.そして、そのためのテクニックはいかにあるべきかということをここ数か月間研究してきた.


 教師は番組という、パートナーを得たと考えるとわかりやすい
 教師には金銭、時間などの制約が有るからノゞ一トナーにその制約を越えて動いてもらい、その記録を視聴する。この方法は16mm映画の時代から多く用いられてきた、最も理科らしい方法である。・・・『①実験実習代換法』
 演示をしなが市実験のやり方を説明する手間をバートナーに行なわせる.ひっこみじあんになつて、なかなか手を出さない生徒に、生徒にとってかなつ身近なバートナーは「さあやってごらん」とばかりにやってみせてくれる.テレビの持つ親近性を利用するのだ。このとき実験の時間がテレビ視聴によって短くなる,実験手順の合理化、スピードアップのための工夫が必要である.・・・『②実験実習再現法』
 教師は二度同じ話しをするのはあまり良いことではない、わからないといえば、あるいは待っていれば重大なポイントをいつも提示してもらえるのでは、生徒の主体性は育たない、同じ内容ならバートナーに授業を任せてしまつたほうが良い.パートナーは、教師とやや違う観点でその内容を深め、広げる授業をする。それで生徒は一律に同じように深まったり広がったりするわけではない.一律にそろえようと思ったり、わからないと言うことで何回も説明して同じ足並みになるまで待って授業を進めていくなどということには無理がある(そのことを教師は過去のいくつかの経験で知っている)。(テレビ番組という名の)バートナーは足並み揃えようとするのではなく、それぞれがべつべつの視点で見てくるのを前提にその内容を展開する.そして、そうして来た長い経験を持っている(その経験をもってしてもそうとう数の生徒を引きつける番組を作ることは難しい、だから教師との協力が必要となる).べつべつにいろいろな方向からの学習は教師だけの授業より良い結果をもたらすはずである.一つの内容を複数以上の方向で
学べば理解はより深まって行くし視野も広くなるからである.・・・『③一任教授法』『④協力教授法』
 教師は番組の内容を丁寧に生徒に説明しないほうが良い、そのことで番組から学んでいこうとする意欲を小さくする.
 教師は番組を見て感じた事は素直に提示して良い、そこから生徒と番組の内容に関するキャッチボール(咀嚼)が始まる.つまらないと言っても確かにつまらないのだからその肯定から始めて、内容に入って行けば良い.その際、咀嚼が大切なのであつて教師の完全な内容の解説は必要ではない.
 視聴ノート、視聴カードは教師は生徒がどの様に番組を見たかを知っておく必要があるということで有用である.視聴中よりは視聴後に書いた方が視聴に対いする集中力を損なわない.視聴カードの内容を発表させるとき教師の意図する答えだけを習慣的に用意してしまいがちになることに注意することが必要となる.「気づき」「発見し」「考え」という生徒の行程がこのカードでつかめるのがよい.
 「気づかせ、考えさせ、発見させる。」しつかりした教師とも言うべき「番組」はこの行程を着実に踏まえているはずである。「埼玉の自然」ならば15分という時間の中にこの行程が入ることになる。当然、番組の中で設定するゆとりのない行程は、「考えさせる」部分である.さらに、実験の時間を多くしようとする授業内では設定しそこなう可能牲が高い。授業中でない時に「考えてくれれば艮い」ということにさえ話しは消極化する。番組視聴によって生み出された時間的ゆとりは「考えさせる」行程により多く振り分けなくてはならない事になる.「考えさせる」行程が補償されてこそ「発見させる」行程が有機的に機能する。「考えておくこと」によって、何時か「発見の鋭い喜び」に結びつく可能性をインプットしておくことになる。
 主体的に学ぶ、この当たつ前のことがなぜ出来ないのだろうか、主体的であるなら、書物から、テレビから、自分に合った教師から、いや自分に合わない教師からでも、その他いろいろな手段で、必ず、充分すぎるくらいに字べるはずなのだ。理由は簡単、教室に集まっている生徒達は学ぶ目的でそこにいる者は少ない、いなければならないからいるのだ、学びたくなくても帰るわけにはいかないからいるのだ.だから、教師は、生徒か少しでも主体的になるために工夫しなければならないことになる.主体的であることへの変様を求めて、研究することになる、、この研究は教師達が永遠に追い続ける大テ一マと言っても過言ではないだろう。・・・テレビ番組はそんな教師と同じような性格を持つている。スタート時点から見たくて見られている番組というのはあまりない、たまたま、テレビのスイッチが入りっばなしだったから見たとか暇だったから見たと言ったとき、面白くて、「次も見るぞ」という主体性を持って貰わなくては、番組は存続が危うくなる。主体的に見て貰える番組を作るのはその制作者達のやはり永遠の大テーマである。そういう番組やその制作者から学ぶ事は多い.
 筆者はNHKの「人間家族」と言う番組に出演したことがある.わずか15分の番組に費やされた時間は筆者だけで丸二日半、一緒に仕事をしたスッタフは筆者が見ただけで12人。一瞬、一瞬の撮影に全力が尽されていたことだけは間遣いない。番組制作に投入されたエネルギーが、教師がそれをバートナーとして扱っていける事に、もっと頻繁につながっていくよう、制作者と利用者である教師がそれぞれの場での努力を続けなくてはならないとその時感じた.



        第3学年7組 理 科 学 習 指 導 案



                        日時 平成3年11月8日(金)
                       場所    衛中学校正門前広場
                             および3年7組教室
                       指導者   教諭  松浦 寿治



1、題材名   「分解者」
2、題材について・・・自然界における生産者である植物、消費者である動物については目に見える存在であるため比較的理解しやすかった.落ち葉ゃ動物の死体などが腐敗して行くことを生徒は知っている.それが分解者の働きによるものと定義づけることや、有撮物が無撮物に変えられ、再び生産者に利用され得る物にもどされて行く過程であることを理解させたい.また分解者が土中だけに存在する限られた生物ではなく、発酵、抗生物質の生産、汚水処理、直接の食料となるなど私たちの日常生活の中の様々な場面で活躍していることを知らせたい.分解者をとらえるには多くの時間と、技術的に困難な観察か必要で島る.番組視聴はその難点をクリアするための一助として有効であると考えられる.
 本題材は4時間の計画で扱う.第1時は導入、きのこや発酵によって作られる食品などをとりあげ身近な生物として分解者を紹介し、さらにつぎの2時間のために土を用いる実験の準備をしておく.第2時は土が呼吸していることを実験で確かめ、微生物の存在を認識させる.第3時で土の中の生物と分解者を知らせ、土がろ紙を分解して行く番組内の実験を実際に行い理解を深める.第4時は水中の分解者の存在の理解を、汚水処理の番組を視聴しながら深めていく.

3、題材の指導目標
(1) 土には落ち葉などをこなごなにしてしまう働きがあることを知る
(2) 土の中には目に見える生物と、ほかに多くの菌類や細菌類がいて、有機物を無機物に変えるはたらきをし、分解者と呼ばれていることを知る.
(3) 水の中にも分解者がいることを知る.
(4) 分解者は日常生活の様々な場面で活躍し利用されていることを知る.

4、題材の指導計画
(1) 身近な所にいる菌・細菌類
(2) 分解者の働きを調べる(実験)
(3) 土の中の生物と分解者(観察・番組視聴を授業開始 5分後から15分間行う)
(4) 水の中の分解者(観察・番組視聴を授業開始30分後から15分間行う)・・・本時

5、本時における番組視聴の位置づけ
 本年度の研究において番組視聴を次の4通りに位置づけた(研究報告に記).
 (1)実験実習代替法・・・教室での実験・観察が難しい場合の代替して利用
 この方法は従来から行われて来た、最も理利的利用法である.本時で扱う水の中の分解者を観察することは技術的難度が高く時間もかかるわけだから、当然本時においても少なからずこの位置づけは成されている.
 (2)実験実習再現法・・・番組の中に出てくる実験を実際に行う.
 この方法での位置づけを考えなかつたわけではないのだが、水中の微生物の観察が本時の目標でなく、前記したが、特に時間配分に難点がありそうなので本時ではパス.
 (3)一任教授法・・・番組視聴だけの授業
 一連の授業の導入やまとめとして育効な方法であるか、本時はその位置にある授業ではない.
 (4)協力教授法・・・番組の内容と教師の授業内容が並立する
 (2) の位置づけをしないと言うことで半ば自動的に本時が(4) の位置づけをする授業になってくる(研究報告参照).もちろん前記のように(1) の扱いも含んでいる。校内にある浄化槽の観察から水中の分解者の存在とその活躍ぶりを知らせるのが教師の授業の意図(目標)である.番組「活躍する分解者」は汚水処理を起点に水中の食物連鎖へ、さらに河川の環境問題に発展して行く意図を持って制作されたものである.教師の意図と番組のそれはクロスしている(つまりオーバーラップはするが異なつた部分も多いということ).生徒の情緒(大脳前頭葉)にその二つの意図を情報として入力し、時間をおいて、深化につながって行くごとを期待したい.

6、本時の題材について
 土中以外の身近な分解者としてホ中の分解者を扱う。大量の生活汚水の処理はその分解者の力を補強する施設によって行われている.その施設の仕組みを調べて行く中で、分解者をより身近な、なくてはならない生物として理解させたい.そこで、本時ではつぎの様にこの題材を扱っていきたい.
 校内の浄化槽を見学しトイレの汚水がかなり透明な状態まで処理されていることを知る.どうしてその様にきれいになるか考え、その理由にせまる.次に番組を視聴をする。番組の内容は前項のとおり展開される.番組視聴の後、内容について生徒と教師の言葉のキャッチボール(咀嚼)があって終了.時間があれば分解者の可能性について考えさせる。
 生徒の主体性の伸長を息識して本時のまとめ的なことはしない.

7、本時の学習指導
(1)本時の目標
・水中にも分解者がいることを知る.
・水中の分解者I立汚水処埋に利用されていることを知る.

(2)本時の展開
<導入>5分
 教師の働きかけ       l期待される反応     l留意点               l準備 
----------+--------+---------+---
汚水はどこに行くのか    l                  l                     l   
を考える               l                  l教師はマンホールの    l   
T:私が立っている場所    lS:トイレの近く        l上に立って話し始め     l   
 について             lS:マンホールの上    lる                    l   
T:マンホールの下に何   lS:汚水             l本校600人以上の      l   
 があるのか           lS:大量の汚水       l人間の汚水であるか    l   
T:マンホールを開けて    lS:僕が開けてみる    lらかなりの量である      lバール
 みよう               l                   lことに気づかせる       l   

<展開1>20分      
 教師の働きかけ       l期待される反応     l留意点              l準備 
----------+--------+---------+---
 浄化槽を調べる       l汚水と書かれたマ    l流れが校門から出そ   l
T:汚水の流れを追って   lホールを一つずつ    lうに見えるので注意     l
 みよう               l確認しながら浄化     l                    l
                     l槽へ               l                    l
                     l                   l                    l
T:浄化槽を調べてみよ   lS:かなり大きい       l浄化槽は多くの人間    l周辺の安
                     lS:音かする          lか来るようには作ら     l全点検
                     lS:中を覗いて見よ     lれていないので、安     l
                     l う                 l全をこころかける.      l浄化槽の
                     l                   l                    l鍵
                     l                   l                    l
T:浄化槽の水を汲み上  l浄化槽の水が透明   l浄化槽の水はサンプ   l水汲み容
 げて観察しよう         lに近いほどきれい    lルとして教室に持ち     l器
                     lになっていること      l帰る                  l
                     lを確認             l                     l
--教室にもどる--   l                   l                    l
T:なぜトイレから出た      lS:機械で沢過した    l分解者についての生    l
 汚水はきれいになっ    lS:・・・・・・               l徒の反応が欲しいと     l
 たのか              lS:・・・・・・               lころだ、教師のはた      l
                     l                   lらきかけで近い所ま     l
                     l                   lで迫りたい.           l

<展開2>25分
 教師の働きかけ       l期待される反応     l留意点               l準備 
----------+--------+---------+---
-番組を視聴する-    l水中の不溶性ゴミ    l視聴しやすいように     lビデオテ
                     lはこしとられ、土      l座席を移動する        l一プ「活
                     l砂や小石は底に沈   l視聴後座席を戻す     l躍する分
                     lむのか             l                    l解者」
・視聴カードを記入       l                   l数名発表させる       l
                     l有機物は分解者に   l                    lビデオデ
                     l分解されていたの    l発表については教師    lッキ
                     lか                 lはうなずく程度にと      l
--わかったこと疑     l                   lどめる               lテレビ受
  問点の発表--     l下水に空気を送り    l                     l像機
T:わかったことを発      l込むのは分解者が   l疑問に思ったことに     l
表して下さい。          l活動しやすくして      lもうなずくだけで答       l配線コー
                     lいるのか           lえない                lド
T:疑問に思ったこと      l                   l                     l
を発表して下さい。       l                   l                    l

<発展>
 教師の働きかけ       l期待される反応      l留意点              l準備 
----------+--------+---------+---
--トイレに捨てて      l                   l時間が余れば、発展   l
はいけないものを考     l                   lに進む              l
える--              l                   l                    l

          
(3)評価の観点
・汚水処理の仕組みを調べる中で、水中にも分解者がいて活躍していることを知ることができたか.
・主体的に学ぶ力を育ていたか

(4)座席配置
 ロッカー     黒       板   時計
 テレビ         教卓       掲示板

 F13 M15   F9  M10  F5  M5   F1  M1
 F14 M16  F10 M11  F6  M6   F2  M2
 F15 M17  F11 M12  F7  M7   F3  M3
 F16 M18  F12 M13  F8  M8   F4  M4
              M14      M9

 
行動食の工夫は山だけではない。

ショートロープの実践研修ということで1月の八ヶ岳・赤岳主稜に行ってきた。メンバーは私M(60歳)とN(32歳)くんと0(34歳)くんの3人である。

2011年1月19日、朝8時に赤岳鉱泉を出発、行者小屋から主稜を登り、文三郎道を下って再び行者小屋に戻るまで、トップが交互に交代しながらショートロープで行動した。晴れ、時々ガス、風速は10~15メートル程度の中、ピッチ毎に必ず協議を入れて、我々三人は非常に熱心だった。夕方4時に赤岳鉱泉につくまで、途中で休んだのは行きと帰りの行者小屋の通過時のみ、何も食べず、何も飲まず、止まっての協議の時以外は8時間動き続けという充実ぶりだった。

研修が終わり、赤岳鉱泉でお茶を飲んだ、なにやらクラクラとする感じがあった、行動食を食べて、30分くらいおとなしくしていたらどうにか元の状態に復帰した。若者2人はクラクラさえしないで、お酒なんか飲んで元気なものであった。

「山に慣れた人というのは、1日くらい飲まず食わずでも行動出来るのだ!」と感心させられた部分もあるけれど、それは登山者の体にとって強烈な負担であるはずで、非常時でさえ、行わない方が良いことだ。食べられない状況に追いやられたとしたら、その時、登山者はがんばってはならない、最良の方法を考えて、なんとかして。食べたり飲んだりしなければならない。

<参考>
「バテて動けなくなっても、何か食べれば、動く力が復帰する。」:イボン・シュイナード



以下、「行動食の工夫はは山だけではない」という話

日本の一般的と思われる中学生{委員会(安全,環境,保険,放送,etc)に入り、部活動(陸上,野球,サッカー,バレー,バスケ,吹奏楽,etc)を3年間続けて、中の上の成績(443535324なんて感じかな?})が
①朝7時30分までに登校して、夕方6時まで9時間以上、年間200日(3年生は1学期の部活終了まで70日)以上にわたって、中学校にいなければならない状態なのをご存じだろうか?
②7時半から12時55分まで、及び13時15分から18時まで、水だけしか口にすることが出来ないのをご存じだろうか?
③ようやく口に出来る給食を、均等に食べられないことをご存じだろうか?

きらいな食材を残す生徒がいる、弱い生徒と女子を中心におかわりしない生徒がいる、などが前提になって、給食当番はおかわりしたい生徒がおかわりが出来ることを目的に、どちらかというと少な目に盛り付ける。また、友達に給食をあげてはいけないというルールのない学級では、おいしい肉やヨーグルトやゼリーなどを、「ちょうだい!」と言って(強い生徒が弱い生徒の分を)巻き上げてしまうことがよくある。

人間の集団を、ある空間から出られないようにして、少な目の食事を与えれば、江戸時代の牢屋に牢名主がいたように、動物園のサル山にボス猿がいる(自然の山にボスザルはいない)ように、必然的に集団の人間関係に順位が生まれてしまう。そして、それは「いじめ」の温床となる。

上記①②③は多くの人に知らせて、制度を変えて行かなければならないことだ。けれど、知らしめたとしても一朝にして変わることはないから、(よしんば変わることになっても、数年間の移行措置がある)、これからも長く、中学生の異常なな空腹状態は続くことだろう。

現行の制度を変えないですぐに可能な改革案は、親達が中学生達に、こっそりと行動食を持たせることだ。朝練習の終わった時間とか、放課後の練習の始まる前とかの、制度上許されるわずかなチャンスをみつけて、それを食べさせるのだ。

たぶん、お菓子を食べることは禁じられているいるだろうから、おにぎりやサンドイッチのようにちゃんと食事とわかる行動食が良い。

中堅を担う部活動の顧問教師達は、小さなおにぎりさえ食べることを許さないかも知れない。そうしたら、友達にも隠れて、こっそり飲み込むように食べるしかない。薬を飲むのは自由だから、薬様にするのが良いだろうがそれは今一の案だ。実は、中学校の校内には隠れて行動食を食べる場所は無い(女子にはトイレがあるが、よい場所とは言えない。男子にはそれも無い)。真面目をつらぬけば、行動食は食べられない。

だから結局、雪山登山で使う、「朝食を多く食べて、行動食を減らす方法」しかないのかも知れない。

現在、校内のどこかでこっそり何か食べている、したたかな中学生は多い。校内の死角スペースに、お菓子の包み紙が落ちているのをよく見かけるからだ。

なんとかして、将来を担う中学生が、その成長がおびやかされるほどに飢えていたり、日常的にコソコソと隠れてお菓子を食べていたりなんてことがない良いようにしなければならない。

参考までに、中学校の一般的な日課表(火、水、金)を以下に記す。
<注、月曜と木曜日は5時間授業なので帰りの終了時間は60分早まるが部活動の終了時間は同じ>
7:30~8:00 部活動
8:00~8:25 片づけ、着替え、教室に入る
8:25~8:30 朝の会(日程確認等)
8:30~8:40 朝読書
8:40~8:45 移動準備
8:45~9:35 1時間目
9:35~9:45 移動準備
9:45~10:35 2時間目
10:35~10:50 移動準備
10:50~11:40 3時間目
11:40~11:50 移動準備
11:50~12:40 4時間目
12:40~12:55 給食の準備
12:55~13:15 給食
13:15~13:45 昼休み
13:45~14:35 5時間目
14:35~14:45 移動準備
14:45~15:35 6時間目
15:35~15:55 移動清掃移動
15:55~16:10 帰りの会(本日の反省、明日の予定)
16:10~18:00 部活動等(日の短い時は17:00に終了) 

中学校だけが問題なのではなくて、それは氷山の一角なのだ。日本人には「○○は食わねど、高楊枝!」とか「滅私奉公!」とかいう発想が根強くあって、一生懸命に、体が壊れる限界まで、もしかして体を壊しても、家族のため、会社のため、人々のため・・・に頑張るのが良いと思っている人が多い。

短期間なら可かも知れない、けれどそれは、10年20年と持つわけがない。

「頑張りすぎて体が壊れるのを防ごうとする意識が、自分にもまわりにも乏しくて、反対に、病気になるまで頑張り・頑張らせようとする傾向にある」と知っている必要がある。

行動食だけでなく、衣食住の確保、時間の使い方、休暇とレクリエーションの入れ方、体のメンテナンスの方法、トレーニングの方法・・・私達は様々に工夫して、少しだけ流れに逆らって、自分で自分の身を守り、その上で、上記の頑張るといことと素敵な協調を計らなければならない。   松浦寿治2011.6.20




  

山道の歩き方(下り方)

岩稜歩きのポイント  2013.9/11~9/13山と渓谷誌2014.7月号北穂の取材原稿

●落石が来たら、落石を起こしたら
・上から落石が落ちて来たら。「最後まで落石を見続けること」、石を見て体をかわすのです。 どうしてもかわせない時は腕ではらうこと。
・落石を落としたら「ラク!」と大きな声で叫ぶこと。「ラク!」はたぶん英語の「ロック」か ら来ていて、海外でも通じるそうです。

●確保ということ
そっとたしかめて持ち、そっとたしかめてから足をおく、三点確保で三点にこだわりすぎる人が 多いが一点でも外れたら落ちるので、確保の方が大切です。三点にこだわりすぎて、確保の方を 忘れ、動ける範囲が制約されてしまわないようにしなければなりません。
*三点を数えても、体重移動(体重を踏み出した足に移動して、その足で立って登る)が少なければ、手で引く量が増し、その手が外れる危うさが増してしまいます。
*三点を数えても、バランスクリアミング{手(=腕力)の負担をなるべく少なくする登り方}がなされなければ、手が疲れ切ってしまう危うさが増してしまいます。
*三点でなくて、実は二点で支えて行動しているのですが、三点確保が常識なので、それを(二点確保を)高言するのが難しい状態です。

●バランスクライミング
もっとも手に負担がかからないようにして登り下ることがバランスクライミングです。 つまり、なるべく足を使うということです。垂直以下の斜面では胸の前にスイカがあるくらいのつもりで 岩から体を離します(垂直やオーバーハングでは岩に体(腰)を近づけます。

●レストステップ(小股でゆっくり体重を移す)
片足にしっかり乗っていれば、もう一方の足をゆっくりと着地点をねらい滑ったり動 いたりしないか確かめながら着地します。

●下り
・指のつけね付近で着地し足首のバネを使うようにします。
・大きな段差は足踏みして横になり大腿側筋を使うようにします。
・座って足を下ろす方法があります。
・背中でなく腹を斜面に向ける登りの姿勢で降りる方法があります。 その場合、体の真ん中から下を見るのでなくて、サイドから見て足場を探すようにします。
・なるべくつま先の真上に膝の頭が来るようにします。

●はしごと鎖場
・はしごは三点確保が出来るように作られた人工物です(岩登りのⅣ級以上場合は三点確保では通用しない)。 なので三点確保で登り降りします。
・鎖場を下る時は鎖を固定する支点の強度がわかります。強度が強い場合は、鎖をまたぎ手でぶらさがるように体重をかけてもOKです。
・鎖場を登る時は鎖を固定する支点の強度がわかりません(リングボルト一個なんてことも 多いので注意が必要です)。鎖に思い切り体重をかけず、補助に使いながら、足で登りましょう(バランスクライミングの項参照)。

●練習
岩場が苦手な人ほど練習をいやがる傾向にあります。苦手な人ほど練習してほしいです。クライミング ジムや岩場ゲレンデに納得がいくまで通いましょう(48回以上)。 クライムダウンとトラバースのある課題(ナンバールートなど)を積極適に練習しましょう。

●山側によける
確保にしても、ゆっくりと体重を移すにしても。すれちがいは必ず山側によけます。 ついつい「まぁいいか」と谷側に寄ってしまうことがありますが、ちょっとしたことが命取 りになるので、基本を徹底して守るということです。谷側によけているときに、相手のザックがポ ンと当たっただけでもはじかれて転落してしまいます(玉突きの玉が、ぶつかった方が止まり、ぶつか れた方がはじかれるのと同じ)。何年か前に、まさに北穂で山岳写真家の磯貝猛さんが転落死したの も同じ状況です。あれほどのベテランが、ふと魔が差したとしか思えません。

●服装
細かいことですが、長袖長ズボンの着用(参考:建設現場で作業する人は裾が大きく膨れたズボンを 着用します。裾の膨れはセンサーになっています)。岩は硬く尖っているので、普通は何でもない程度 にぶつけただけでも皮膚が切れてしまいます。特に、高齢者の皮膚は薄くなっているので、ちょっとした ことで大きく削がれてしまう。街中の日常診療でも経験しています。

●集中力を切らさないこと
疲労に加え、低血糖、脱水などもふらつきの原因になります。高山病の症状としてもめまいがあるので気を つけましょう。山小屋で眠れないのを心配して睡眠薬を飲むと、夜間に呼吸数が減って高山病の症状が出や すくなるのと、翌日に眠気やふらつきが残ることもあります。つい先日、ある学校の登山で歩行中に生徒がふと居 眠りをして転落した例があります。これは、疲れと集団で単調な山道を歩いていたせいでしょうが?



松浦の経験から「山道の歩き方」 2007.2/2

登りは「 小股歩き 」=出した足の土踏まずの真上に立ち上がるつもりで。

下りは「聞きとり歩き」=やや腰を回しながら、手足が同じ方向に出て、出した足の音を聞くつもりで。
滑る時は(登り下り共通)「小股ベタ足」=靴底をフラッとに置いて、靴底に刻まれた溝を地面に食い込ませるつもりで。
*登りのキャッチフレーズは1999年にA.I.氏より伝えられました。下りのそれは2011年3月11日にどくとる・てぃっぷる氏が提唱されました。

@大学に入ってすぐにワンダーフォーゲル部に入部しました。
「滑る時は登りも下りも靴底のフリクション(摩擦)を効かすんだ!」
それ以外は先輩からの説明はありませんでした。それで有無を言わさず、1年生は30キログラムぐらい2年生は40キログラムぐらいの重荷を背負って歩かされました。登りは1年生が「ファイト」と言ったら2年生が「ソーレ」と返しながらゆっくり行動します。重荷ですから合理的な歩き方をしなければすぐにバテたり一部の筋肉が痛くなります。そうならないように工夫することで、山道の歩き方(ついでにパッキングも)を理屈でなくて体で覚えさせられたのです。それから30年を経て、人に山道の歩き方を伝える立場になってしまいました。
30年の山歩きの経験の中で「下り方」を説明する記述や先輩は少なかったです(登り方のそれは多くみつかります)。それで、下りの場合は自分(松浦)の歩き方を観察した内容を説明しています。長い年月に渡って山歩きが原因で足を痛めたことがないので、たぶん間違いはないと思います。ポイントは「重い荷物を背負っているつもりで歩く」ということです。

@登り方の説明
「重い荷物を背負っているつもりで登る」
「ゆっくり息があがらないペースで歩く」
「アイススケートのように片足に乗りながら」
普通の歩き方(踵から着地してつま先に抜ける)を小股にして歩く(滑りそうな場合は靴底全体で着地するイメージ)」
「左足に体重を乗せて左足一本で立ち、小さな歩幅(踵でなくて靴底全体で着地出来るほどの歩幅)で右足を出し、体重を静かに右足に移動して『よいしょ』という感じで両足で反動をつけて(右足の反動が大きめ)、右足の土踏まずの垂直方向の真上に立上がります。」
などなどいろいろ言いながら説明します。

@下り方の説明
「重い荷物を背負っているつもりで下る」
「右足を痛めた時に、右足が前で左足を後ろにして、横に向いて降りますよね!」
「そうすると左大腿の正面の筋肉(大腿直筋)でなくて、左大腿の横(左右二つ)筋肉(大腿外側広筋と内側広筋)をたくさん使う歩き方になります。」
*大腿直筋と大腿外側広筋と大腿内側広筋をあわせて大腿四頭筋といいます。
「そうするとかなり楽に降りられるのです。」
「大腿の側広筋をなるべく多く使い大腿直筋をなるべく少なく使うように降りると楽だと言うことです。」
「山道には石による段差がしょっちゅう出て来ます。それから、中央あたりがくぼんで両側が10~30cmくらい高いのが普通ですよね!」
「左足で段差を作るほどに大きな石に乗ったら、右足を前に出さずにその石の横か斜め後ろあたり足場に出せば、体が斜面に正対したまま大腿側広筋を使って降りられます。」
「左足で道の真ん中に立ったら、右足をまっすぐ前に出さずに右斜め前(道の右端側)の足場に出せば、段差が少なくなってしかも体が斜面に正対したまま側広筋を使って降りていますよね!」
「次に右斜め前(道の右端側)に右足で立ったら、左足を前に出さずに左横(道の真ん中あたり)の足場に出せば、また体が斜面に正対したまま大腿側広筋を使って降りられることになります。」
「その時、出した足の足首の曲がる方向と膝のまがる方向が同じになること(ねじれの位置にならないこと)が大切です。」
「指のつけねの手前の盛り上がった部分からそっと着地して、足首のバネを有効に使うと楽です(つま先から着地する感じ、雪山の踵キックステップを除く)。」

「同じ足場近くで足踏み(右足と左足を踏みかえる)して降りやすい(楽に降りられる)方の足で降りて行きます。」
「上手な人は走って降りてるように見える時がありますよね!」
「走ってなんていなくて、同じリズムで小刻みに足を出しているのです。」
「しかもスピードが出ないようにするためと、よい足場探しのために(それが見つかるまで)足踏みをしていることが多いのです。」
「テニスとか卓球とかで一流の選手が小さく足踏みをするようにしているのを見たことがありませんか?サーブレシーブする時なんかによく見かける足踏み(フットワーク)です。」
*卓球の技術書に「小刻みなフットワーク」という項目で解説されていたのを見たことがあります。→参考5

「足踏みをして、リズムを整え、短い段差でなるべく側広筋を使う足場を探して、降りて行きましょう!」
「側広筋を使って降りられる足場がみつからない場合は、遠慮なく体を横に向けて(斜面に正対しない)しまいましょう。そうすれば、大きな段差でも側広筋を使って降りることが出来ます。」
「山道が長い階段に整備されているとつらく感じませんか?それは、階段では道の中央も両側も段差が一定なので、斜面に正対したままでは、側広筋を使って降りれる足場がなくなってしまうからなのです。」

「側広筋を使って降りる方法を知らないと、大腿直筋を多く使ってしまうのでつらいです。そのつらさを補うためにストックを使う人がいます。長いストックを体の前に出してそれに体重を分散して降りる人を多くみかけて危ないと思っています。もしストックの支持が外れれば前につんのめって倒れます。」
「ストックを使うなら一本ストックで50センチくらいに短いのがよいと提案します。そのストックを下りに使う場合は、体より前にはストックを突かないで、体の横か斜め後ろに突くようにします。そうすれば前につんのめる危険が少なくなります。その使い方はピッケルのそれと同じなのです。ピッケルと同じ持ち方だからT字のストックがいいです。」
「長い2本ストックはスノーシュー歩行とかノルディックウォーキング用だと思って下さい。」

<参考1>まずは街の階段で練習しましょう。
●登り降り共通で、足首の曲がる方向と膝の曲がる方向が同じ向きにすることをこころがけて下さい(爪先の上に膝が来るイメージ)。
●登りは基本的には日常的に行う階段登りと同じです。
●下りは始めの一段目だけを練習に使います。一段目の前で足踏みをして、斜面に対して体を右か左の斜にかまえます。例えば右を前にしたとします。左足首の曲がる方向と左膝の曲がる方向が同じ向きになるようにしながら、左膝を曲げ、右足を体側よりやや後ろに降ろします(右足を前に出さない)。右足の指のつけねの柔らかい所が最初に着地するつもりで降ろして下さい(足首のバネを有効に使う)。右足に体重を移して右足で立ったら、左足を右足を降ろした段と同じ段に降ろします。足踏みして斜面に正対し、その後は普通に何事もなかったかのごとく降りてしまいます。また、新たに階段に出会ったら、斜面に対してかまえる向きを左に替えます(以下、右と左を適宜くりかえして下さい)。一番楽な下り方なので、すぐに身につくはずです。

<参考2>レストステップ(静加重静移動or体重移動)
●重荷を背負って山道を歩くと人(ヒト)は自動的に確かめてから力をかけます。つまり「・・・歩幅せまく足(足1)を出し、滑らないか崩れないか確かめながらその足(足1)にそっと加重し、加重しながら全体重を出した足(足1)の真上に移動して、“よいしょ!”という感じで両足共にちょっとだけ反動をつけてその足(足1)の真上に向かって立ち上がり、それから後ろにあった足(足2)を持ち上げ歩幅せまく前に出し、滑らないか崩れないか確かめながらその足(足2)にそっと加重し、加重しながら全体重を出した足(足2)の真上に移動して、“よいしょ!”という感じで両足共にちょっとだけ反動をつけてその足(足2)の真上に向かって立ち上がり、以下くりかえし・・・。」という歩き方(一歩一歩「確保」しながら歩く)をするのです。この歩き方がレストステップ(静加重静移動or体重移動)です。レストステップは安定して歩けるだけでなく、滑ったり石を落したりすることが少なくて、基本の山の歩き方と言えます。
●レストステップは基本の岩の登り方でもあります。ホールドを手で引くことが押さえられ、足場を真下に踏みつけるので、足が横方向にズレて外れてしまうことを防げます。*緩傾斜の岩場で水平に近い大きな足場の場合です。←<参考1>の①と②は岩登りノートの「確かめてから力をかける…」の項よりの抜粋です。

<参考3>足のどこに荷重するか(軽登山靴を使用している場合)
大きな足場の場合は、土踏まずに立つ感じにします。小さな足場の場合は「足の親指のつけね(インサイドステップ)」の所か「足の小指のつけね(アウトサイドステップ)」の所で足の指で足場を掴むように(斜面と靴のなす角度は60~80度程度です。意識しなければ足親指の付け根側だけ使ってしまうので、始めの内は意識して小指の付け根側も使うようにして下さい。
*重登山靴の場合は爪先立ち(斜面と靴のなす角度は90度)になります。足首が固定され靴底が曲がらないので爪先立ちが可能なのです。

<参考4>重荷を背負うと歩き方がうまくなるという考えに対して。
●ビニロンの家型テントと一斗缶に入った食料をキスリングという特大ザックで持ち歩いた時代がありました。その時代は全体に装備が重く、1泊の縦走登山でも20Kg、雪山登山なら40Kgの荷になりました。
●重荷を背負って山道を歩けば、自動的に小股の山道の歩き方になるのだから、重荷を背負えば歩くのが上手になるという考え方は上記のキスリングの時代には適合していたかも知れません。しかし、重荷を背負えば、腰椎、頸椎、膝などに大きく負担がかかります。筋肉は鍛えられますが、椎間板などの関節のクッション組織は鍛えることが出来ず、次第に劣化し回復することはありません。荷はなるべく軽く、しかも前後左右均等に負荷がかかるように持ったり背負ったりして、その関節のクッション組織の劣化を務めて防止しなければ、長く登山を続けることは出来ないのです。
●必要以上の重荷は背骨や足の間接を痛めるので長く続ける山登りには向きません。晩秋のころによく言われる「冬に向けて30Kg以上の荷を背負う歩荷訓練をしておくべき」という考えは改めたいです。歩荷訓練をするのなら、目的を軽量化研修に変更しようと提案します。

軽量化研修
①各自の登山スタイルで最も重くなる山行に向けた荷を揃える(例:2泊3日の雪山テント縦走)。
②上の①の荷を軽量化する。そして丁寧にパッキングして、一日歩く。

 <参考5>卓球部と柔道部のこと
松浦は14年間、卓球部、そして12年間柔道部の顧問をしていて、卓球個人の部ですが県大会3位の選手1名、8位の選手2名、柔道団体の部で県ベストエイトの選手を育てることが出来ました。いろいろありましたが、概して楽しく充実した部の活動が出来たことが自慢です。
野球,サッカー,バレー,バスケなどに比べると、卓球や柔道はマイナーな種目です。マイナーな種目が楽しくなるためにはたくさんの生徒の入部が必要条件でした。その為には、対外試合で多く勝利しなくてはなりません。卓球部8年目の時、勝利のためには、攻撃よりも守備の練習をたくさん行うのが良いと気付きました(攻撃は教えなくても覚えるからです)。守備の重視は松浦の運営する登山教室のビレーヤーズグレードを初めとする多めの安全管理システムに受け継がれてています。


  
以下:「ストックの使い方シンポジウム」

<参考6>ストック使用について2014.9/9(S藤)
●私のストック使用、経緯。
私は在宅のリハビリテーション専門職で、(杖)歩行や生活動作の援助に携わっています。山では2本ストックを使用していた時期がありました。膝を手術した後は1本杖を積極的に使っていました。今は、ストックを使わないスタイルを好む感じです。 逆に言えば、ストック(ポール)を使うスタイルをカッコいいと考える人もいると思います。上手に使用すれば、機能的ですし疲労を軽減する事で安全に寄与するでしょう。
●(若い方は特に)ストックを使用せず、しっかり脚力を付け て歩ける事が重要と思います。
どこも調子の悪くない人はストックは使わない方が良いと思います。その背景は、ストックを持つとどんな場面(斜面)で も使いたくなってしまい、変な歩き方のクセがついてしまうのではないか、と思うのです。変なクセというのは手(腕)に頼って、そこに体重(荷重)がかか り、手首や肩を痛めてしまう心配があることです。傾斜の強めな下りではその心配が高まります。また手に荷重されることで、両足の間にあるはずの重心が杖先の方向へ移動し、結果不安定な状態を作り易いと思います。杖先が滑ったら転倒の心配もあります。(若い方は特に)ストックを使用せず、しっかり脚力を付け て歩ける事が重要と思います。
● 慣れていく順序を考えてみては。
①最近ではファッションや流行で使う方が多いのではないかと思います。広告や他の人たちが使用している影響は大きいでしょう。使用されるのは個人の自由ですので、上記の考えを無理強いして「使うな」という気持ちはありません。
「使い方を知りたい…」というレベルの人であれば、慣れていく順序があるのでは、と考えます。
②私はストックは姿勢制御のために2本で使用するのが良いと思っています。
③まずは平坦な斜面でクロスカントリースキーのように交互に突いて、使い方に慣れていくのが、手にも負担を掛けず、姿勢を補助するという点で有効と思いま す。歩くときは、「振り出す足と対側の手」が、自然と前に出ます。振り出した手の延長で自然に前方にストックを突くのが良いと考えます。ストックを持って少し 歩いてみれば自然とそんな動きになっていくと思います。(この場合のストックの長さは、スキーで使う時と同じくらい、肘が90°曲がる位です)
④教本には、上り斜面では短く持って突く、下り斜面では長めに持って下方へ突く、と説明しているものがあります。平坦な斜面で「足での歩行が基本、ストックは軽く突く」に慣れた上で、グリップの位置を変化させた「教本の使い方」を習得されたら、ストックマスターと呼ばれることでしょう。ただ私の経験から、いちいち短く、長く、なんて面倒です。いつもの長さで使用してしまうのがほとんどです。特に悪かった、と いうのも感じませんし、無くてもいいかな…というのが実感です。横向きになって段差を降りるような場面では邪魔に感じます。
⑤1本のみで使用する場面もよく見かけます。1本のストック(T型のグリップ)の使い方は、本来はどちらかの足(膝、足首など)に心配な状況があり、弱い足が接地すると同時に (反対の手に持った)ストックを突いて足への負担を補助する、というものです。私のように左膝を手術した、痛くなるかも…といった人間には、右手に持つ1本ストックは有効でしょ う。しかし、足が痛んでなければ1本でストック(杖)を使用する意義は乏しいのかな、と思います。(1本ストックの長さは骨盤よりやや下方、股関節の高さを基本として、実際に使用しながら楽に感じる長さに調整します。)
⑥最近、理学療法士の方と「山での1本ストックの使い方」の話をしていましたら、曰く「1本杖は、特に足が悪くなくとも私みたいな体幹や筋力の弱い人が使うには楽なんだ よ~、右手で持ってて疲れたら左手に持ち替えて…」と言われてしまいました。
⑦まとめとして、一般に健康な方がストックを使用したいのであれば、姿勢制御用に2本で使用するのが良いと思っています。歩行は左右対称な運動なので、ストックも2本使用する方が効率的と考えるからです。ただし先の理学療法士の話を加味すれば、使う方が楽に感じるのであれば2本ストック、1本ストックと堅苦しく分けなくとも良いようにも思います。あと「重い荷物を背負って縦走する」といった場合には、健康な方でも快適に歩くという点でストックは有効に働く事でしょう。
⑧余談ですが、山で悪路が続く時に「ストックは手に持たずザックへ」と注意書きがあった時の話です。白馬鑓ヶ岳から白馬鑓温泉へ降りる道で、その看板があ りました。面倒です。無視してストックを持っていたら、山小屋関係者とそんな場面で遭遇してしまい、注意された事がありました。いいペースで下っていて、 つい休まずしまわず、で使用し続けてしまってました。細かに出し入れできる人は、ストック使いとして合格者だと思います。
●雪の上ではとても重要。
雪面でつぼ足で歩く、ワカンで歩く時など、大きく振り上げた足が接地するまでに片足で立つ時間が長くなる状況では、2本ストックはとても有効に思います。片足を上げている時間が長くなると「反対側の立っている足」は、上げている足側に体が倒れないように頑張ります。その時、立っている足の股関節外側の筋(中殿 筋)が主に収縮しますが、中殿筋以外にも太腿やお尻の筋、体幹の筋も協力して姿勢保持に努めます。重い靴やワカンなど履いて何千回、何万回?と繰り返され るこの姿勢制御にストックを突く動作はとても役立ちます。スノーシューは重量があるので、やはり振り出す足にも立っている足にも負担が高まるので、ストッ クは姿勢を安定させて安全に歩く点で有効と思います。

<参考7>松浦の経験から2007.2/2
①「側広筋を使って降りる方法を知らないと、大腿直筋を多く使ってしまうのでつらいです。そのつらさを補うためにストックを使う人がいます。長いストックを体の前に出してそれに体重を分散して降りる人を多くみかけて危ないと思っています。もしストックの支持が外れれば前につんのめって倒れます。」
②「ストックを使うなら一本ストックで60センチくらいに短いのがよいと提案します。そのストックを下りに使う場合は、体より前にはストックを突かないで、体の横か斜め後ろに突くようにします。そうすれば前につんのめる危険が少なくなります。その使い方はピッケルのそれと同じなのです。ピッケルと同じ持ち方だからT字のストックがいいです。」「長い2本ストックはスノーシュー歩行とかノルディックウォーキング用だと思って下さい。」
③市川の○病院のリハビリ科で聞いのですが、リハビリ科の療法士は肘をわずかに曲げた(160度ぐらい)状態で丁字の持ち手の杖を持てといいます。肘を完全に伸ばして持つとすぐに痛めてしまうそうです。山のストックの場合も、肘がわずかに曲がった状態になるように狙いをつけてストックを突くのが良いでしょう。
④筆者(松浦)は雪の無い山にストックは持ち込みません。持つとしたら1本ストックです。

<参考8>ノルディックウォーキングについて2012.10/24M浦
大股で腕を振って歩くことで、体幹をとりまく多くの筋肉が使われます。しかし腕回りの筋肉については少し不足なので、二本ストックを持つことでそれを補い、結果として、優れた全身運動をする歩き方になります(健康管理にgood)。ノルディックウォーキングをトレーニングとして取り入れるのは相当に有効であると考えます。「街中では大股で歩くようにする!」それだけでも良いトレーニングになります。

<参考9>ハイキング程度の山歩きと上半身の運動不足とストック 2013.1/29M浦
●人はもともと(人類誕生の時代から)野山を杖なしに歩いていた動物です。ストックの使用は本格的な登山をする方には基本的にはおすすめしません。ストックなしに歩けるバランス感覚を大切にしていただきたいです。しかしながら、初心者の方や年に数回程度しか山に行かないタイプの方にとっては、膝を痛めるリスクを減らせたり、楽に歩ける、バランスがとりやすい、など、ストック使用の利点がいくつかみつかります。
●ハイキング程度の山歩きの場合、足腰の筋力は結構使いますが上半身はそれほど使いません。それで、下半身の筋肉ばかり引き締まってアンバランスになる可能性があります。有酸素運動によって下半身ががっちりし、無酸素運動と運動不足により上半身が貧弱になるかも?ということです(急傾斜を登る本格的登山はこのかぎりではありません)。上半身の筋肉を使うために、両手にストックを持ち、その推力を有効に使って歩く方が多くなっています。膝等を痛める可能性も減るでしょうから、一挙両得だと思います。最近ではストックを持たずに歩いている人の方が少ないのではないかと思えるほどです(若い人でも当たり前のように持っていて、すこし心配しています)。
●ネジ式で長さを調節出来るストックを使われる方が多いです。冬になると、ストックの長さが固定出来なくなるトラブルに必ずといってよいほどに出会います(気温が低いためにネジが緩む→それをなおす時ににシャフトの継ぎ目から雪や水が入り込んでしまう→水が凍ったり潤滑剤になってネジが効かなくなる)。下の写真のようなネジを回す方式でない長さ調節機能を持ったストックの使用をお勧めします。

●前に向かう推力を得るためにはストックの先端(石突)は後方を向きます。後ろを歩く人を突いてしまわないように十分に注意が必要です。
●樹木などの障害物の多いルートではストックがじゃまになることも多いです。そういうルートではストックはザックの中にしまう方が良いです(外に出すと木の枝にひっかかってやっかいだし、落として紛失する可能性もあります)。
●岩稜、鎖場、藪漕ぎ、沢登り、腕の力(特に指力)がものを言う岩登り、ピッケルを持つ雪山登山、・・・、つまり本格的登山やバリエーションルートを行く登山にストックを持って行くのはひかえた方がよいです。ハイキング程度の山歩きの延長上でバリエーションルートにストックを持って行くと、登山の核心部分で、じゃまになるし重荷にもなります(1グラムでも軽量化した方が安全につながります)。膝等を痛めていて(あるいは痛めやすくて)杖の補助が必要な方は仕方ないとして、ストックは初めから持って行かないのが良いです(必要なら木の棒を拾いましょう)
。 .

●1本ストックについて
1本ストック=片手に持ち、時々左と右手に持ち替える(手が疲れない)、ピッケルを持つと同じ持ち方(ストックの上部から下に押すように)で持つ、長さはピッケルの長さ(身長170cmの人で60cmくらい)で登り下りとも同じ長さにする。ピッケルを持って歩くのと同じ使い方をする。登りは体のやや前につき、下りは体の真横か少し後ろにつく(体の前について、失敗して前転する危険が回避出来る)。1本ストックの方がピッケルを持って歩くことに連続している(ピッケルについては雪山登山ノートのピッケルアイゼンワークの項をごらん下さい)。


<参考10>ストックについて、UIAA医療部会の提言より
●2本ペアで両手に持ち、ストック上部の紐輪に手首を通し、指を長軸に沿わせて握る。
●長さは登りは短めに調節する。それは前腕の角度が肘の水平線より上向きだと、循環が低下するためである。前腕の筋肉が早く疲れ、高所低温、低酸素状態にあっては、指が早く冷やされて凍傷になりやすくなる。下りは長めに調節する。足元のバランス保持が良くなる。「高齢者(60歳以上)、脊椎と下肢関節に不調がある人、重い物を背負う時」の場合は特に勧める。バランスの保持が良くなるので転倒の危険が軽減される。また荷物の重さが適当な場合、疲れの感覚が軽減される。
●しかしながら、常時ストックを使っていると、それに頼るのが癖になり知らず知らずのうちにバランス感覚を失って行く。その結果、痩せ尾根・岩場などストックが使えない場所に遭遇すると、転倒・踏み外し・躓きなどからの事故につながった例は少なくない。
●押したり引っ張ったりの強い刺激は関節軟骨の栄養や制御筋肉の鍛錬や弾力性の保持に重要で、ストックの常時使用はこれらの生理学的に重要な刺激を減弱させる。運動生理学的な観点からすると、健康なハイカーはストックに頼らない、関節に負担をかけない、弾力的で安全な、膝関節を痛めない歩き方に習熟することを目指すべきである。

<参考11>2本ストックと小刻みなフットワーク2014.9/7松浦寿治
●おかげ様でテレビや雑誌の取材を受けることが多くなりました。山歩きの技術の話になると、「ストックの使い方」を教えて下さいと、判で押したように問われます。「超初心者や足を痛めている方でないならばストックは使わない方が良いのです。」と答えたいのですが、用意した2本ストックを提示しての質問なので、ストック否定論をぶちまけるわけにいかなくて、以下のような話をします。
●本当は持つならば「1本」ストックが良いと思っているのですが、話は「2本」ストックの場合になります。
①長さは肘を直角に曲げて持つとストックの石突が地面に着く程度にします。
②右足を出す時は左手側のストックを右足の土踏まずから左50cmのあたりに突きます。入場行進の時の手の振り方(右手と左足が同時に出て次に左手と右足が同時に出る)のタイミングでストックを突くのです。
③上記の①と②の方法ならば登りも下りもストックの長さを変えなくても大丈夫になります。
④しかし、街にあるような平らな道や階段では入場行進のような歩きが出来ますが、地形の複雑な登山道では難しいです。なので、安定した足場に立ち、突き安い方の手(例えば右手)のストックを体側に沿わせた位置付近(前すぎず、後ろすぎず)についたら、小刻みなフットワーク(右でも左でもどちらの足からスタートしても良い、必要に応じて足踏みが入る、テニスのサーブレシーブ寸前のフットワーク参照)を使って良い位置に足場を整え、さらに段差を越えます(登りも下りも同じ)。次に出す手は左手とはかぎりらなくてつきやすい方の手です(右手が続く場合もある)。手も足もそれぞれ突く所と置く所をしっかりと見極め、一手一手、一歩一歩、確保して進むのです。さらに地形が複雑になり段差が大きくなったら(岩稜のような山道)ストックはザックにしまいましょう(素手で岩角などを持って進むのです)。





 登山教室Timtamのトップへ

 登山教室Cueのトップへ


Let's go climbimg all together